春と恋人
美しい扉の親しさに
私が室(へや)で遊んでいる時、
私にかまわず実ってた
新しい桃があったのだ……
街の中から見える丘、
丘に建ってたオベリスク、
春には私に桂水くれた
丘に建ってたオベリスク……
蜆(しじみ)や鰯(いわし)を商(あきな)う路次の
びしょ濡れの土が歌っている時、
かの女は何処(どこ)かで笑っていたのだ
港の春の朝の空で
私がかの女の肩を揺ったら、
真鍮(しんちゅう)の、盥(たらい)のようであったのだ……
以来私は木綿の夜曲?
はでな処(とこ)には行きたかない……
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ひとくちメモ
「春と恋人」は
草稿が2種類あり
一つは昭和2―3年制作(推定)で第1次形態
一つは昭和12年6月制作(推定)で第2次形態とされ
第2次形態の草稿は旧全集刊行の後に発見されました。
両作品には異同があり
草稿詩篇(1937年)に掲出されるのは
第2次形態草稿です。
内容から
いわゆる横浜ものと分類される作品です。
「臨終」
「秋の一日」
「港市の秋」
「むなしさ」
「かの女」などと同じく
題材を横浜にとった作品の一つですから
初稿は大正15年春に制作された可能性を否定できません。
横浜を舞台にしたことが分かるのは
第一次形態草稿の最終行が
はじめ「居留地に中には這入らない」となっていたのを消されて
「はでな処には行きたかない」と改変された跡が残るからで
この居留地が
横浜にあった外国人居留地を指すものと推察されるからです。
となると
この詩の「恋人」や「かの女」が
俄然、具体味を帯びて
生々しく映じはじめるではありませんか。
美しい扉
室
新しい桃
オベリスク(※古代エジプト神殿の正面左右に建てた四角く尖った石柱。)
桂水(※桂水 桂は香木の一つ、したがって香水。)
蜆や鰯商う路次
港
……
これらも
いっせいに
横浜の風物として
匂いだすではありませんか。
昭和12年6月のある日
詩人は
かつて遊んだ横浜の思い出を
歌いました。
あの時以来
私は「木綿の夜曲」になってしまって
派手なところには行きたくなくなってしまったのだ……と
遠ざかった理由さえ思い出せば懐かしい
あの「桃」はどうなっただろう……。
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