雨が降るぞえ

   ――病棟挽歌

雨が、降るぞえ、雨が、降る。
今宵は、雨が、降るぞえ、な。
俺はこうして、病院に、
しがねえ、暮しをしては、いる。

雨が、降るぞえ、雨が、降る。
今宵は、雨が、降るぞえ、な。
たんたら、らららら、らららら、ら、
今宵は、雨が、降るぞえ、な。

人の、声さえ、もうしない、
まっくらくらの、冬の、宵。
隣りの、牛も、もう寝たか、
ちっとも、藁(わら)のさ、音もせぬ。

と、何号かの病室で、
硝子戸(ガラスど)、開ける、音が、する。
空気を、換えると、いうじゃんか、
それとも、庭でも、見るじゃんか。

いや、そんなこと、分るけえ。
いずれ、侘(わび)しい、患者の、こと、
ただ、気まぐれと、いわば気まぐれ、
庭でも、見ると、いわばいうまで。

たんたら、らららら、雨が、降る。
たんたら、らららら、雨が、降る。
牛も、寝たよな、病院の、宵、
たんたら、らららら、雨が、降る。

(了)


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ひとくちメモ

「雨が降るぞえ――病棟挽歌」は
「泣くな心」が
1937年2月7日から8日の間に制作されて後の
同8日から9日の間に制作されたと推定され
「千葉寺雑記」に記された詩篇の
最後の作品です。

中原中也が
中村古峡療養所を退院するのは
2月15日ですが
退院許可が下りることを
自ら予感できる何かがあったのか
雨が降る様子を歌っているにしては
陰惨さはなく
副題に「病棟挽歌」とあるように
「さよなら!療養所」の意味を持たせて
余裕みたいなものを感じさせる内容です。

冒頭連の
俺はかうして、病院に、 
しがねえ、暮しをしては、ゐる。

この、
暮しをしては、の「は」が利いています。

してはいるけれども、という
「逆接」を表す助詞で、
しがない暮しだけれど、
そう悪くはない、というニュアンスを
持たせてあります。

「降るぞえ」も
俗謡調ですし

空気を、換へると、いふぢやんか、 
それとも、庭でも、見るぢやんか。
の、「ぢやんか」や

いや、そんなこと、分るけえ。
の、「分るけえ」には
方言を取り入れる
遊び心があります。

第3連
まつくらくらの、冬の、宵。
は、宮沢賢治の模倣(もほう)で、
隣りの、牛も、もう寝たか、
は、おどけた感じが復活していますし

「たんたら、らららら」というオノマトペにも
そのルフラン(繰り返し)にも
雨が
小躍りして喜ぶような
軽快さがただよいます。

詩人は
退院願いを繰り返す必要を
もはや感じなくてよい状態にあり
挽歌を歌ったのですが
随所に
技法を凝らす
詩人のスタンスを
取り戻しています。


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