ニーナを抑制するものは

彼曰く――

そなたが胸をばわが胸の上(へ)に、
そじゃないか、俺等(おいら)は行こうぜ、
鼻ン腔(あな)ァふくらましてヨ、
空ははればれ

朝のお日様ァおめえをうるおす
酒でねえかョ……
寒げな森が、血を出してらァな
恋しさ余って、

枝から緑の雫を垂れてヨ、
若芽出してら、
それをみてれァおめえも俺も、
肉が顫わァ。

苜蓿(うまごやし)ン中おめえはブッ込む
長(なげ)ェ肩掛、
大きな黒瞳(くろめ)のまわりが青味の
聖なる別嬪、

田舎の、恋する女じゃおめえは、
何処へでも
まるでシャンペンが泡吹くように
おめえは笑を撒き散らす、

俺に笑えよ、酔って暴れて
おめえを抱こうぜ
こオんな具合(ぐえィ)に、――立派な髪毛じゃ
嚥んでやろうゾ

苺みてェなおめえの味をヨ、
肉の花じゃよ
泥棒みてェにおめえを掠める
風に笑えだ

御苦労様にも、おめえを厭(いと)わす
野薔薇に笑えだ、
殊には笑えだ、狂った女子(あまっこ)
こちのひとえだ!……

十七か! おめえは幸福(しやわせ)。
おお! 広(ひれ)ェ草ッ原、
素ッ晴らしい田舎!
――話しなよ、もそっと寄ってサ……

そなたが胸をばわが胸の上(へ)にだ、
話をしいしい
ゆっくりゆこうぜ、大きな森の方サ
雨水(あまみず)の滝の方サ、

死んじまった小娘みてェに、
息切らしてヨウ
おめえは云うだろ、抱いて行ってと
眼(め)ェ細くして。

抱いてゆくともどきどきしているおめえを抱いたら
小径の中へヨ、
小鳥の奴めァゆっくり構えて、啼きくさるだろヨ
榛ン中で。

口ン中へョ俺ァ話を、注ぎ込んでやら、
おめえのからだを
締めてやらァな子供を寝かせる時みてェにヨウ、
おめえの血は酔い

肌の下をョ、青ゥく流れる
桃色調でョ
そこでおめえに俺は云わァな、
――おい! とね、――おめえにャ分らァ

森は樹液の匂いでいっぱい、
おてんと様ァ
金糸でもってヨ暗(くれ)ェ血色の、森の夢なざ
ぐッと飲まァナ。

日暮になったら?……俺等(おいら)ァ帰(けえ)らァ、
ずうッとつづいた白い路をョ、
ブラリブラリと道中(みちみち)草食う
羊みてェに。

青草生(へ)ェてる果物畑は、
しちくね曲った林檎の樹が、
遠方(えんぼう)からでも匂うがように、
強ェ匂いをしてらァな!

やんがて俺等は村に著く、
空が半分暗(くれ)ェ頃、
乳臭エ匂いがしていようわサ
日暮の空気のそン中で、

臭エ寝藁で一杯(いっぺェ)の、
牛小屋の匂いもするベェよ、
ゆっくりゆっくり息を吐エてヨ
大ッきな背中ア

薄明(うすらあかり)で白ウくみえてヨ、
向うを見ればョ
牝牛がおっぴらに糞(くそ)してらァな、
歩きながらヨ。

祖母(ばば)は眼鏡ェかけ
長(なげ)ェ鼻をョ
弥撒集(いのりぼん)に突ッ込み、鉛の箍の
ビールの壺はョ

大きなパイプで威張りくさって
突ン出た唇(くち)から煙を吐き吐き、
しょっちう吐ェてる奴等の前でヨ、
泡を吹いてら、

突ン出た唇奴(くちめ)等もっともっとと、
ハムに食い付き、
火は手摺附の寝台や
長持なんぞを照らし出してヨ、

丸々太ってピカピカしている
尻を持ってる腕白小僧は
膝ついて、茶碗の中に突っ込みやがらァ
その生(なま)ッ白(ちれ)ェしやッ面(つら)を

その面(つら)を、小(ちひ)せェ声してブツクサ呟く
も一人の小憎の鼻で撫でられ
その小僧奴の丸(まァる)い面(つら)に
接唇とくらァ、

椅子の端ッこに黒くて赤(あけ)ェ
恐ろし頭した
婆々(ばばあ)はいてサ、燠の前でヨ
糸紡ぐ――

なんといろいろ見れるじゃねェかヨ、
この荒家(あばらや)の中ときた日にャ、
焚火が明(あか)ァく、うすみっともねェ
窓の硝子を照らす時!

紫丁香花(むらさきはしどい)咲いてる中の
こざっぱりした住居じゃ住居
中じゃ騒ぎじゃ
愉快な騒ぎ……

来なよ、来なってば、愛してやらあ、
わるかあるめェ
来なッたら来なよ、来せェしたらだ……

彼女曰く――

だって職業(しごと)はどうなンの?
〔一五、八、一八七〇〕


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ひとくちメモ

「ニイナを抑制するものは」Ce qui retient Ninaを読むにあたって
表記の問題で予めおことわりしておきたいこととして――

原作の小字(=ァィゥェォッャュョヮヵヶ)と
並字(=アイウエオツヤユヨワカケ)の使い分けが
完全には再現できていないかもしれないことを
申し上げておきます。

底本としている「新編中原中也全集」では
「ン」を小字・並字と使い分けていますが
このサイトではできませんでした。
そもそも、詩人が「ン」を大小と使い分けていたのか
疑問が残ることもあって
ここでは「ン」のすべてを並字で表記しました。

「ヨ」の小字「ョ」は「キャキュキョ」の「キョ」以外使わず
行末の間投詞「よ・ヨ」の場合を「ヨ」と並字にしたのは
間投詞「さ・サ」の場合と同様です。
底本もこの考えであろうと推測されます。

それにしても
「広(ひれ)ェ草ッ原」(ヒレエクサッパラ)のように小字を使って
詩人は翻訳に
東京の下町言葉の調子を与えようとしているらしく
細心さには頭が下がります。

「肉が顫わァ。」なんてのも
「ニクガフルワワア」か「ニクガフルエルワア」か
どちらに読んでいいのか分かりませんが
かなりデリケートなニュアンスを
伝えようと工夫している様子です。

ニイナという女性に
俺(オイラ)は
一方的に口説き文句をはなっていますが
延々と続ける口説きは
途中で妄想に変わって
ますます強引さを増していったところで
ニイナがポツリと一言――

そんで、(あんた)仕事、どうすんの?

一挙に
破滅。

この後どうなったことやら
まるで落語みたいな
男女のやりとりです。

ひとくちメモ その2

「ニイナを抑制するものは」Ce qui retient Ninaは
だって職業(しごと)はどうなンの?
(ダッテ、アタシノシゴトハ ドウナルノヨ?)
――と、ニイナがポツリと喋ったところで終りますが
これでこの男女関係は終ったのか、というと
そうでもないところが不思議なもので
ランボーは
その辺には触れずに詩を打ち切って
読者の想像にその後を委ねます。

その後のことなんて
どうでもよかったのかも知れません。

そんなもの
勝手にしやがれ! って。

俺(オイラ)の台詞(セリフ)が大事だったのですから
やはり、それを読まないことには
何もはじまりませんが
タイトルが「ニイナを抑制するものは」ですから
詩は結末の1行=ニイナの一言を導きだすために
延々とオイラの「独白」を歌ったことには注目しておかなくてはなりません。

ランボーの原詩は
イザンバールが所有していた自筆原稿のほか
「ドゥエ詩帖」にバリアントがあり
こちらのタイトルは「ニーナの返答」Les Reparties de Ninaというのですから
この女性の「返事」がこの詩の最大の眼目であることは
間違いありません。

彼が言うには――

アナタの胸をわが胸の上に、
そうじゃないかい、オイラは行くだろうよ、
鼻の穴、ふくらましてよー、
空は晴々

朝のお天道様、オメエを潤している
酒じゃねえかよー
寒そうな森が、血を流してらあな
恋しさ余って、

枝から緑の滴をたれてよ
若芽を出してら
それをみてりゃあオメエもオイラも
肉が震えるわ

クローバーん中オメエはぶっ込む
なげえ肩掛け
大きな黒目の周りが青みの
なんともいえない別嬪よ、

田舎の、恋する女じゃオメエは
どこへでも
まるでシャンペンが泡吹くように
オメエは笑みを撒き散らす

オイラに笑えよ、酔って暴れて
オメエを抱こうぜ
こーんな具合に――立派な髪の毛じゃ
のんでやろうぞ

イチゴみてえなオメエの味をよ
肉の花じゃよ
泥棒みてえにオメエを掠める
風に笑えだ

ご苦労様にも、オメエを厭わす
野バラに笑えだ
ことさら笑えだ、狂ったあまっこ
こちのひとえだ!
(こっちのものだ!)
(こっちの人へだ!)

,17か! オメエはシヤワセ
おお! ひれえくさっぱら
すっばらしい田舎!
――話なよ、もそっと寄ってさ……

アナタの胸をわが胸の上にだ、
話をしいしい
ゆっくり行こうぜ、大きな森の方さ
雨水の滝の方さ、

死んじまった小娘みてえに、
息切らしてよー
オメエは言うだろ、抱いていってと
目ー細くして。

抱いていくともドキドキしているオメエを抱いたら
小道の中へよ
小鳥の奴めあゆっくり構えて、鳴きしぐれるだろうよ
ハシバミの林の中で。

ひとくちメモ その3

「ニイナを抑制するものは」Ce qui retient Ninaを
読み進めましょう。

オイラの口説きは
ますます高ぶり……。

抱いて行けと、オメエはオイラに
目を細めて言うだろう、と
彼の口説きは妄想に登りつめ
自分の放った言葉に
慌てて答えます――。

だ、だ、だ、抱いていくとも!

抱いていくともドキドキしているオメエを抱いたら
小道の中へよ
小鳥の奴めゆっくり構えて、鳴きしぐれるだろうよ
ハシバミの林の中で。
(前回はここまで。)

口の中へよオイラは話を、注ぎ込んでやらあ、
オメエのからだを
締めてやらあな子供を寝かせる時みてえによー、
オメエの血は酔い

肌の下をよ、青ーく流れる
桃色の調子でよ、
そこでオメエにオイラは言わーな、
――おい! とね、――オメエにゃ分からー

森は樹液の匂いでいっぱい、
お天道様―
金糸でよーくれえ血色の、森の夢なんざ
グッと飲まーな。

日暮れになったら? ……オイラけえらあ
ずうっとつづいた白え道をよ
ブラリブラリと道々草食う
羊みてえに。

青草へえてる果物畑は、
しちくね曲がったリンゴの木が、
遠くの方からでも匂うように
強い匂いをしてらーな!

やがてオイラは村に着く、
空が半分くれえ頃、
乳くせえ匂いがしていようわさ
日暮れの空気のそん中で、

くせえ寝藁でいっぺえの、
牛小屋の匂いもするべえよ、
ゆっくりゆっくり息を吐いてよ、
おっきな背中あ

薄明かりで白ーく見えてよ、
向うを見ればよ、
牝牛がおおっぴらに糞してらあな、
歩きながらよ。

祖母はメガネかけ
なげえ鼻をよ
祈り本に突っ込み、鉛のタガの
ビールの壺はよー

大きなパイプで威張りくさって
突き出た唇から煙を吐き吐き、
しょっちゅうへーてる奴らの前でよ、
泡を吹いてら、

突き出た唇らもっともっとと、
ハムに食いつき、
火は手すり付きのベッドや
長持なんぞを照らし出してよ、

丸々太ってピカピカしている
尻の腕白小僧は
膝ついて、茶碗の中に突っ込みやがらー
その生っ白えしゃっ面を

その面を、小せえ声してブツクサつぶやく
も一人の小僧の鼻で撫でられ
その小僧めのまあるい面に
キスとくらあ、

椅子の端っこに黒くて赤え
恐ろし頭の
ババアはいてさ、燠(おき)の前でよ
糸紡ぐ――

なんと色々見られるじゃねーかよ、
このあばら家の中ときた日にゃ、
焚き火があかーく、うすみっともねえ
窓のガラスを照らす時!

ムラサキハシドイ咲いてる中の
こざっぱりした住居じゃ住居
中じゃ騒ぎじゃ
愉快な騒ぎ……

来なよ、来なってば、愛してやらあ、
悪かあるめえ
来なったら来なよ、来せえしたらだ……

彼女が言うには――

だって、アンタ、仕事はどうすんの?

(15、8、1870)

「みてえによー」は、みたいによー
「くれえ血色」の「くれえ」は、暗い
「けえらあ」は、帰らあ
「白え道」は、「シレエミチ」(白い道)
「青草へえてる」は、青草生えてる
「乳臭え匂い」は「チチクセエニオイ」(乳臭い匂い)
「いっぺえの」は、いっぱいの
「なげえ鼻」は、長い鼻
「しょっちゅうへーてる」は、しょっちゅう吐いてる
「生っ白えしゃっ面」、「ナマッチレエシャッツラ」(生っ白いしゃっ面)
「黒くて赤え」は、黒くて赤い
……

これらは
江戸っ子弁というのでしょうか
いまや、全国に通じる方言というのでしょうか
テレビ時代劇や江戸ブームなどを通じて
ベランメエ(調)は
耳で聞く分にはすんなり理解できるようになりましたが
表記するとなれば
「現代かな遣い」はかえって困難を抱えることになり
「歴史かな」を動員すれば
より原作に近づくケースといえるのかもしれません。

ま、それほど難しいわけではないので
詩人の意図を汲んで
ベランメエの流暢(りゅうちょう)な響きに
耳を傾けるのもいいじゃないですか――。

ベランメエの、そのどことなく威張った口調が
ニーナの一撃をくらうのです。

ひとくちメモ その4

「ニイナを抑制するものは」Ce qui retient Ninaは
結末のニーナの一言をどう訳すかが
訳者の技の見せ所の一つになりますが
中原中也は

彼女曰く――
だって職業(しごと)はどうなンの?

――と訳しました。

彼女が言うには、
だって、アンタ、仕事はどうすんの?
――と、ここでは現代語化して読んでみました。

原詩は
Elle – Et mon bureau ? と簡潔ですから
簡潔ゆえに訳(解釈)はさまざまであるところを
少し見ておきます。


宇佐美斉の訳は、
彼女――それであたしのお勤めの方はどうするのよ

鈴木創士の訳は、
彼女――それで“あたしの仕事場”は?
(※“あたしの仕事場”は、原作では傍点になっています。)

鈴村和成の訳は、
かの女――でも、あたしのお勤めは?

粟津則雄の訳は、
彼女。――でも、“私のおつとめは”?
(※“私のおつとめは”は、原作では傍点になっています。)

金子光晴の訳は、
彼女
でも、そうしたらお仕事は?

西条八十の訳は、
ところでわたしの会社のお勤めはどうなるの

今、手元にあるのはこれだけです。
訳出のこうした違いは
一つには、解釈の違いからくると言えるもので
そのことはタイトルの訳の違いにも現われます。

だれの仕事(職業)かを
私(つまりニーナ)の仕事と明示する訳が多勢ですが
金子光晴は
どちらかといえば、男の仕事という意味合いを捨てていないようですし
中原中也も、どちらにも取れるように訳しています。

タイトルの訳の違いも
見ておきましょう。

宇佐美斉は「ニーナの返答」
鈴木創士は「ニナの即答」
鈴村和成は「ニナの即答」
粟津則雄は「ニナの返答」
金子光晴は「ニナを引きとめるもの」
西条八十は「ニナの返答」
……。

原テキストを「Ce qui retient Nina」とするか
「Les Reparties de Nina」とするかで違っています。
金子光晴と中原中也は
「Ce qui retient Nina」を訳しています。

ひとくちメモ その5

「ニイナを抑制するものは」Ce qui retient Ninaは
結末のニーナの一言が決定的に重要な意味を持ちますが
だからといって
ニーナの一言を誘発するためにだけにあるような
オイラの口説きが無意味であるというようなものではありません。

オイラの言葉(つまり「彼曰く」の内容)が
この詩の、いわば「血」のようなものであり
「彼女曰く」がその構造を作り、
「骨」のようなものであるなら、
骨=形も、血=中身そのものも
どちらもじっくり味わわれねばなりません。

ということで
オイラが延々と語るのにじっと耳を傾けてみると――。

オイラはオマエを連れて
森へ行こうじゃないか
若芽が萌え出る森を見りゃあ
オイラもオマエも震えがくるほど嬉しくなるさ

クローバーの原にオマエは
ショールを投げるさ
田舎の、恋女だオメエは
笑みをあちこちに撒き散らす

オイラにも笑え
酔って暴れて
オイラはオマエを抱いてやるさ
こんなふうによ
美しい髪の毛じゃなあ
飲んでやらあ

……

どうやら
朝から昼にかけての森(の時間)と
日が暮れる頃の村(の時間)と
二つの場所が歌われていることがわかります。

後半の村(の時間)に入って
オイラはホームシックにでもかかったのか
白い道を道草をくいながら
ブラリブラリと帰ります。

青草の生える果物畑にゃリンゴの強い香りがプンプン
やがて到着した村には夕闇が迫り
今度は乳ッ臭い匂い
そして、寝藁の匂い、牛小屋の匂い
田舎の香水です。

ばば様が鼻眼鏡して
聖書を読んでる

牛小屋では
腕白小僧たちがじゃれあっている
恐ろし顔の婆さんは
囲炉裏の燠(おき)の前で
糸巻きしてる

あばら家は
焚き火がみっともねえったらありゃしねえ
窓ガラスを照らし出すが
ムラサキハシドイが咲き
こざっぱりした住まいの中じゃ
夜の宴がはじまってるさ

来なよ、おいでよ
愛してやるからさ

オイラの言葉の中ににじみ出る
田舎人の誇り(プライド)
もしくは驕(おご)り
もしくは謙虚な愛着……

ランボーがオイラに
アイロニカルな眼差しを向けていることを
これを訳している中原中也は掌握し
「土着」を冷笑するような響きに彩られるところまでを
読むことができるでしょうか――。


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