海の泡から生れたヴィーナス

ブリキ製の緑の棺からのように、褐色の髪に
ベトベトにポマード附けた女の頭が、
古ぼけた浴槽の中からあらわれる、どんよりと間の抜けた
その顔へはまずい化粧がほどこされている。

脂(あぶら)ぎった薄汚い頸(くび)、幅広の肩胛骨(かいがらぼねは
突き出ているし、短い脊中はでこぼこだ。
皮下の脂肪は、平らな葉のよう、
腰の丸みは、飛び出しそうだ。

脊柱(せすじ)は少々赤らんでいる、総じて異様で
ぞっとする。わけても気になる
奇態な肉瘤(こぶ)。

腰には二つの、語が彫ってある、Clara Venus と。
ーー胴全体が大きいお尻を、動かし、緊張(ひきし)め、
肛門の、潰瘍は、見苦しくも美しい。

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ひとくちメモ

中原中也訳「海の泡から生れたヴィナス」Véus anadyomènを
読んでいきましょう。

ブリキでできた緑色の棺からのように、褐色の髪に
ベトベトにポマードをつけた女の頭が、
古ぼけた浴槽から現われる、どんよりして間が抜けた
その顔には下手くそな化粧がほどこされている。

脂ぎった薄汚い首まわり、幅広な肩甲骨は
突き出ているし、短い背中は凸凹だ。
皮下脂肪は、平べったい葉っぱのようだし、
腰の丸みは、飛び出しそう。

背中は少し赤らんでいる、全体が異様で
ぞっとする。特に気になるのは
変な格好の瘤(こぶ)。

腰には二つの言葉が彫ってある、「輝く」「ビーナス」と。
――胴全体がでかい尻を動かし、引き締め、
肛門の潰瘍は、なんとも見苦しいまでに美しい。

ビーナスの肛門!
肛門のできもの!

一読して
ビーナス=美の女神――という偶像の破壊。

ランボーは実際に見たビーナスがあったのか――。
たとえばルーブル美術館の「ミロのビーナス」は
ランボーの時代に見られたのか――。
ランボーが題材にしたビーナスは
そもそも「ミロのビーナス」ではないのか――。
そういえば
パリ・コンミューンの混乱の中で、
「ルーブルのビーナスたち」は
破壊されたり略奪されたりしたのではなかったか――。

これらの背景と
ランボーの詩Véus anadyomènは
どのような関係にあるのだろうか、などと
イメージは散乱しますが
これも「ドゥエ詩帖」にある1篇で
「1870年7月27日」の日付け入りで
ランボー自筆の原稿が残っている作品です。

やがて
ダダイストやシュルレアリストたちに
迎えられていくランボーを訳しながら
中原中也のダダイズムは
どのようなことを感じていたでしょうか。

この詩は
「ランボオ詩抄」に収録されず
「ランボオ詩集」で初めて公開されたものですから
昭和11年6月から12年8月頃までの間か、
昭和9年9月から10年3月末までの間かの
どちらかの制作と推定されている詩群の中の一つです。

中原中也晩年の仕事ですから
中原中也晩年のダダイズムを見られる糸口があるはずですが
翻訳にその形跡を見るのは至難です。

至難ながら
訳に「こなれた感じ」があると感じるのは
感じ過ぎというものでしょうか――。

ひとくちメモ その2

先日、NHKで「知られざる大英博物館・古代ギリシャ」を放送していました。
「くつがえる『白い文明』」という内容で
パルテノン神殿を構成する柱など
「白い美しさ」を誇りとされてきた遺跡・遺品の数々は
元は原色で装飾されたものを
現代人が「ブラシ」など剥離用の道具を使って
脱色してしまったものだ、という最近の発見を紹介するものでした。

大衆が「白い美しさ」を期待しているために
その期待に応じて人為的な改竄が行われたという
ショッキングな内容はさておき
この番組を見ていて
ランボーの想像力に思いを馳せていた人もいたであろうと
そのことの衝撃にここではこだわります。

(マネキン人形を扱うようなといっては語弊がありますが)
古代遺跡の発掘初期の現場は
細心の注意を払われながらも
泥にまみれたビーナス像などが
盗掘されたり研究室に収められたりするまでに
ゴロゴロころがっていた――。

この情景が
ランボーの詩「海の泡から生れたヴィナス」Véus anadyomèneに
つながっていきます。
「海の泡から生れたヴィナス」は
ランボーの想像というよりリアリズムではないか――。

油ぎった薄汚い首、
幅広の肩胛骨は突き出て、
短い脊中はデコボコ
皮下脂肪は平らな葉っぱ、
腰の丸みは飛び出しそうだ

背筋は少し赤らんで、
総じて異様でぞっとする。
特に気になるヘンテコリンなおでき……。

胴全体がでっかいお尻、
動かし、ひきしめ、
肛門の潰瘍は、
見苦しくも美しい。

この結末の
「見苦しくも美しい」は
汚泥にまみれた大理石を見た実感じゃないか――。

もちろん、そうではなく
ランボーのダダイスティックな表現衝動が
一篇の創作詩として結実したものなのですが
最後には
「美しい」の一語で締めくくったビーナスの正体とは
あらゆる美の正体をズバリと言い当てているようで
ハッとさせるものがあります。

中原中也は訳しながら
このことを知っていたはずです。
ランボーの原詩の持つ
破壊力とか暴力性とかに目を奪われて
凡俗はついつい茫然としてしまいますが
中原中也がこれを訳しているときの
「してやったり!」という息遣いが聞こえてきます。


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