音楽堂にて

シャルルビル・ガールの広場

貧弱な芝地になってる広場の上に、
木も花も、何もかもこじんまりした辻公園に、
暑さにうだった市民たち、毎木曜日の夕べになると、
恋々と、愚鈍を提げて集って来る。

軍楽隊は、その中央で、
ファイフのワルツの演奏中、頻りに軍帽(あたま)を振っている。
それを囲繞(とりま)く人群の前の方には気取屋連が得意げで、
公証人氏は安ピカの、頭字(かしらじ)入のメタルに見入っている際中(さなか)。

鼻眼鏡(ロルニヨン)の金利生活先生達は、奏楽の、調子の外(はず)れを気にします。
無暗に太った勤人(つとめにん)達等は、太った細君連れている、
彼女の側(おそば)に行きますは、いと世話好きな先生達、
彼女の著物の裾飾と来ちゃ、物欲しそうに見えてます。

隠居仕事に、食料を商(や)る連中の何時も集る緑のベンチ、
今日も彼等はステッキで砂を掻き掻き大真面目
何か契約上のこと、論議し合っているのです、
何れお金のことでしょう、扨『結局……』と云ってます。

お尻の丸味を床几の上に、どっかと据えてるブルジョワは、
はでな釦を附けているビール腹したフラマン人、
オネン・パイプを嗜(たしな)んでいる、ボロリボロリと煙草はこぼれる、
ーーねえ、ホラ、あれは、密輸の煙草!

芝生の縁(ふち)では無頼漢共(わるども)が、さかんに冷嘲しています。
トロンボーンの節(ふし)につれ、甘(あま)アくなった純心の
いとも気随な兵隊達は子守女と口をきこうと
まずその抱いてる赤ン坊をあやします。

ーー私は学生よろしくの身装(みなり)くずした態(ざま)なんです、
緑々(あおあお)としたマロニエの、下にははしこい娘達、
彼女等私をよく知っていて、笑って振向いたりします
その眼付にはいやらしい、要素も相当あるのです。

私は黙っているのです。私はジッと眺めてる
髪束(かみたば)が風情をあたえる彼女等の、白(しろ)い頸(うなじ)。
彼女等の、胴衣と華車(ちゃち)な装飾(かざり)の下には、
肩の曲線(カーブ)に打つづく聖(きよ)らの背中があるのです。

彼女等の靴も私はよく見ます、靴下だってよく見ます。
扨美しい熱もゆる、全身像を更めて、私は胸に描きます。
彼女等私を嗤います、そして低声(こごえ)で話し合う。
すると私は唇に、寄せ来る接唇(ベーゼ)を感じます。

〔一八七〇、八月〕

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ひとくちメモ

「音楽堂にて」A la musiqueは
「ドゥエ詩帖」中の一つで
メッサン版「ランボー詩集」にファクシミレが収められているほか
ランボーの修辞学級担当教員であったイザンバールが所蔵する
ランボー自筆の原稿が残っているのは「ニイナを抑制するものは」と同様です。

中原中也の翻訳を読むにあたって
表記上の問題にここで少しふれておきましょう。

中原中也が生きていた大正から昭和初期は
「歴史的かな遣い」が日本語表記のスタンダードでしたから
たとえばこの詩の冒頭2連を表記すると――

音楽堂にて
シャルルヸル・ガアルの広場
貧弱な芝地になつてる広場の上に、
木も花も、何もかもこぢんまりした辻公園に、
暑さにうだつた市民たち、毎木曜日の夕べになると、
恋々と、愚鈍を提げて集つて来る。

軍楽隊は、その中央で、
ファイフのワルツの演奏中、頻りに軍帽(あたま)を振つてゐる。
それを囲繞(とりま)く人群の前の方には気取屋連が得意げで、
公証人氏は安ピカの、頭字(かしらじ)入のメタルに見入つてゐる際中(さなか)。

――となります。

シャルルヸル
なつてる
こぢんまり
うだつた
集つて
振つてゐる
見入つてゐる

このように、
ざっと抜き出してみると
「ヸ」「ゐ」のような旧字体の使用や
「なつてる」の「つ」のように音便を使わなかったり、
「こぢんまり」の「ぢ」のような旧表記などは
詩人の時代には普通でしたけれど
現代人には使い慣れないものになって
読むのに苦労することになってしまっています。

最近では、旧漢字を新漢字に改める表記が通例となっているので
旧漢字こそ消失しましたが
歴史的かな遣いでの表記を踏襲するケースも健在しますから、
これを読むことに困難を感じ
違和感を覚える人が多数存在するという実態があります。

そこでここでは
旧字を新字に改め、現代かな遣いで読むことにしました。
一般に言われている「新漢字・新かな表記」というものです。
「新字・新かな」と省略する場合もあります。

※ 「送りがな」は原作のままとしています。「集る」を「集まる」としたり、「打つづく」を「打ちつづく」と改めていません。また、「無暗」を「無闇」、「著物」を「着物」に、「嗤い」を「笑い」に直さず、「扨」は「さて」と直しました。「無暗」「著物」「嗤い」は、日常語の中で使われないとは言えず、「扨」を使う例はほとんど皆無であろう、という判断からです。

※ ほかに、外(はず)れ←外(はづ)れ、言って←云って、トロンボーン←トロンボオン、まず←まづ、あおあお←あお/\――のような現代表記化を試みています。

原作を変更することなく
しかし、読みやすい日本語に表記することは
ランボーや中原中也の詩を現代に生かす
もっとも手短かな道――といえば大げさでしょうか。

歴史的かな遣いで書かれた詩を
現代の言語意識や言語感覚で読む、ということは、
現代かな遣いで表記する作業の課程でおおよそ達成されるのですが
それで詩を読んだ、などとはとうてい言えるものでもありません。

ここまでは
あくまで「表記」の領域です。
表記の変更の領域の中に
実は「読み」ははじまっています。
現在、日常生活の中で使われている
発声・発音に近づける表記にすることは
「読み」という営みのはじまりです。

貧弱な芝地になっている広場の上に、
木も花も、何もかもこじんまりした辻公園に、
暑さにうだった市民たちが、毎週木曜の夕べになると、
いそいそと、バカ面下げて集まってくる。

中原中也が訳した「音楽堂にて」を
現代かな遣いに表記することからはじめた第1連は
このように、自然に「読み」はじめることができます。

ひとくちメモ その2

「音楽堂にて」A la musiqueを
新漢字・新かな表記に改めたうえ
現代語化して、「読み」を加えていきましょう。

音楽堂にて
シャルルビル・ガールの広場

貧弱な芝地になっている広場の上に、
木も花も、何もかもこじんまりした辻公園に、
暑さにうだった市民たちが、毎週木曜の夕べになると、
いそいそと、バカ面下げて集まってくる。

軍楽隊は、その真ん中で、
横笛でワルツを演奏中、しきりに制帽をかぶった頭を振っている。
それを取り囲んだ人々の前のほうには気取りや連中が得意気に、
公証人は安ピカの、イニシャル入りのメタルに見入っている。

鼻眼鏡の金利生活者殿たちは、演奏が調子を外すとブーイング。
やたら太ったサラリーマンは、太った細君とおそろいで、
彼女のそばに行くのは、とても世話焼きの先生たち、
彼女の着物の裾飾りときちゃ、もっともっととモノほしそうに見えるのです。

隠居仕事に食料を商う連中がいつも集まる緑のベンチ、
今日も彼らはステッキで砂を掻いて大真面目、
なにかの契約の話でまくし立てている、
どうせお金のことでしょう、さて「結局は……」なんて言ってます。

お尻の丸味を机の上に、どっかと据えているブルジョワは、
派手なボタンをつけたビール腹のフラマン人、
オネン・パイプを嗜んでいて、ボロッボロッと煙草がこぼれる、
――ねえ、ほら、あれは、密輸の煙草!

芝生の端っこではワルたちが、盛んに冷やかしています、
トロンボーンのメロディーにつられ、甘くなった純情の
まったく気ままな兵隊たちは子守女と口をきこうと
まず彼女が抱いている赤ん坊にアババババー。

(兵隊の中の一人が)
――学生のようなこんな構わない身なりで様(ざま)あないですが
青々したマロニエの下のキャピキャピ・ギャルたち、
彼女らはわたしをよく知っていて、笑って振り向いたりするが
その眼つきはまんざらでもなく、その気もちょっとはある。

わたしは黙って、じっと眺めてる
ふさふさ髪がかっこいい彼女らの、白い首すじを。
彼女らの、ジャケットとかわいらしい飾り物の下には、
肩のカーブに続いてきよらかな背中があるのを。

彼女らの靴に見惚れ、靴下にも見惚れていると、
美しい熱で燃える全身のイメージが胸に広がる。
彼女らはわたしを蔑んで笑い、ヒソヒソ話し合う。
するとわたしの唇に彼女らの唇が迫ってくるのを感じる。

これ以上の現代語化を詳細には行わない方が
原詩と翻訳の味を損なわないで済むというものでしょう。

シャルルビルは
ランボー出生の地で
ベルギー国境に近いフランス北部の町です。
実名でその町のありふれた風景を捉えたからには
架空の風景ではなく
毎週木曜日のガール広場の実景が描写されている、と
読んで間違いではないでしょう。
もちろん、1870年ころのシャルルビルです。

そのシャルルビルの実景でありながら
ランボーの眼差しを通過した町に登場する人々は
愚鈍さを絵に描いたような存在になりますが
その中にはどこの町にも見られるような不良たちがいて、
その中には休日を楽しむ若い兵隊たちの姿が混ざります。

シャルルビルの町の目抜きにある広場を
はじめ遠景で捉えたカメラが
広場に集まる人の群の一つ一つに接近し、
ぐるっとパンした後に映し出したその青年兵士は
音楽会の賑わいをのぞきに来ている子守女を口説きにかかります……。

ひとくちメモ その3

「音楽会の賑わいをのぞきに来ている子守女」というと
ピンと来ないかもしれませんが
今風には、いかれた女といったところでしょうか
あるいは、いかした女といったところでしょうか
アメリカ映画「俺たちに明日はない」の
ボニーのようなイイ女で
田舎の町に「腐っちゃっている」みたいな女のことを
中原中也は子守女と訳したわけです。

子守女がボニーならば
口説きにかかる青年兵士はクライドということになりますが
この二人に待ち受けるドラマのようなものを
ランボーの詩「音楽会にて」に期待するのは
奇想天外、空想の中の夢みたいなものです。
無謀です。
しかし――。

「音楽堂にて」A la musiqueは
北部フランスの田舎町の
ありふれた軍楽演奏会の風景を描写しただけの叙景詩でありながら
ドラマの進行を垣間見せては終幕してしまうのですから
このつくりにやがて現代史に登場する前衛劇の予兆を感じても
それほどおかしいことではありません。
ここにあるのは、ストーリーの断片で
断片であることによって
観客は想像の羽根を果てしなく広げる自由が与えられます。

アメリカの1930年代を描いた映画「俺たちに明日はない」への連想は
まったく突飛なものですが
イギリスやイタリアにも「怒れる若者たち」を描いた小説やその映画化があり、
フランスにもゴタールの「勝手にしやがれ」へと連なっていく
ヌーベル・バーグ作品の大きな流れがありますし
これらの作品の源流にランボーがあり
その一つが「音楽堂にて」であり
その結末部の青年の「妄想」にある、というような見方も不可能ではありません。

突飛な連想も
意外に荒唐無稽ではなく
とくに文学や映画へのランボーの詩の影響は深部に及んでいるし
音楽、演劇、美術……への波及も
枚挙にいとまがありません。

4行9連構成の詩の後半部分(エンディング)を
もう一度読んでおきましょう。

芝生の端っこではワルたちが、盛んに冷やかしています、
トロンボーンのメロディーにつられ、甘くなった純情の
まったく気ままな兵隊たちは子守女と口をきこうと
まず彼女が抱いている赤ん坊にアババババー。

(兵隊の中の一人が)
――学生のようなこんな構わない身なりで様(ざま)あないですが
青々したマロニエの下のキャピキャピ・ギャルたち、
彼女らはわたしをよく知っていて、笑って振り向いたりするが
その眼つきはまんざらでもなく、その気もちょっとはある。

わたしは黙って、じっと眺めてる
ふさふさ髪がかっこいい彼女らの、白い首すじを。
彼女らの、ジャケットとかわいらしい飾り物の下には、
肩のカーブに続いてきよらかな背中があるのを。

彼女らの靴に見惚れ、靴下にも見惚れていると、
美しい熱で燃える全身のイメージが胸に広がる。
彼女らはわたしを蔑んで笑い、ヒソヒソ話し合う。
するとわたしの唇に彼女らの唇が迫ってくるのを感じる。

この詩の結末に
目に見えるアクションは
何事も起こってはいません。
青年の想念の中に荒々しく芽生える妄想があるだけです。

この妄想こそ
愚鈍を絵に描いたような田舎の町を飛び出し
世界へ突出するパワーをもつ
アンガー・ジェネレーションのシンボルと呼び得るもの!
やがて
そのようになっていく種子のようなもの!

青年(わたし)は、ランボーの化身と見て
差し支えありません。


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