喜劇・三度の接唇

彼女はひどく略装だった、
無鉄砲な大木は
窓の硝子に葉や枝をぶッつけていた。
意地悪そうに、乱暴に。

私の大きい椅子に坐って、
半裸の彼女は、手を組んでいた。
床(ゆか)の上では嬉しげに
小さな足が顫えていた。

私は視ていた、少々顔を蒼くして、
灌木の茂みに秘(ひそ)む細かい光線が
彼女の微笑や彼女の胸にとびまわるのを。
薔薇の木に蠅が戯れるように、

私は彼女の、柔かい踝(くるぶし)に接唇した、
きまりわるげな長い笑いを彼女はした、
その笑いは明るい顫音符(トリロ)のようにこぼれた、
水晶の擢片(かけら)のようであった。

小さな足はシュミーズの中に
引ッ込んだ、『お邪魔でしょ!』
甘ったれた最初の無作法、
その笑は、罰する振りをする。

かわいそうに、私の唇(くち)の下で羽搏(はばた)いていた
彼女の双の眼(め)、私はそおっと接唇けた。
甘ったれて、彼女は後方(うしろ)に頭を反らし、
『いいわよ』と云わんばかり!

『ねえ、あたし一寸云いたいことあってよ……』
私はなおも胸に接唇、
彼女はけたけた笑い出した
安心して、人の好い笑いを……

彼女はひどく略装だった、
無鉄砲な大木は
窓の硝子に葉や枝をぶッつけていた
意地悪そうに、乱暴に。

〔一八七〇、九月〕

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ひとくちメモ その1

「喜劇・三度の接唇」Comédie en trois baisersも
イザンバール所蔵のランボー自筆原稿が残るほか
ドゥエ詩帖に「初めての宵」Prèmiere soiréeのタイトルのバリアントがあります。
この詩は、また、「三つの接吻」Trois baisersのタイトルで
パリの風刺新聞「ラ・シャルジュ」La Charge(1870年8月13日号)に発表されました。
(「新編中原中也全集」第3巻翻訳・解題篇より)

新字・新かな表記にして読んでみますが、
それだけでは古めかしさが残るので
意訳を加えます。
たとえば、タイトルの「接唇」を「接吻」とすれば
100年以上も前の男女が
現代に現われる感じになりますから。

喜劇・三度の接吻

彼女はひどく質素な装いをしていた、
無鉄砲な大木は
窓ガラスに葉や枝をぶつけていた。
意地悪そうに、乱暴に。

私の大きい椅子に座って、
半裸の彼女は、手を組んでいた。
床の上では嬉しげに
小さな足が震えていた。

私は見ていた、少々顔を蒼くして、
潅木の茂みにひそむ細かい光線が
彼女の微笑(する顔)や彼女の胸に飛び回るのを。
バラの木に蝿が戯れるように、

私は彼女の、柔らかいくるぶしに接吻した、
きまり悪げな長い笑いを彼女はした、
その笑いは明るいトリルのようにこぼれた、
水晶のかけらのようであった。

小さな足はシュミーズの中に
引っ込んだ、「お邪魔でしょ!」
甘ったれた最初の無作法、
その笑いは、罰する振りをする。

かわいそうに、私のくちびるの下で羽ばたいていた
彼女の二つの眼、私はそっとキスした。
甘ったれて、彼女は後ろに頭を反らし、
「いいわよ」と言わんばかり!

「ねえ、あたし、ちょっとひとこと言いたいことあってよ」
私はなおも胸にキスし、
彼女はケタケタと笑い出した
安心して、人のよい笑いを……

彼女はひどく質素な装いをしていた、
無鉄砲な大木は
窓ガラスに葉や枝をぶつけていた。
意地悪そうに、乱暴に。

こうして一通り読んで
輪郭がつかめた状態になります。

若い男女のラブであること以外
何もわかっていませんが
私と彼女のプロフィールだとか
経歴だとか職業だとか年齢だとか
そんなことは想像するしかありません。
勝手に想像して楽しめばよいのです。

初体験のことなのか
すでに何回目かのお楽しみなのか

冒頭と末尾のルフランにある
「ひどく略装だった」の意味が
ここに来て了解できたでしょうか。
第2連で「半裸」と訳されているとおり
彼女ははじめからほとんど素っ裸だったのです!

ランボーの導入を
中原中也は忠実に再現しようとしているのがわかります。
いきなり「彼女は素っ裸」としなかったのです。

喜劇とはなんだろう
キスを3回したのか、などと
手探り状態は続きますが
1度読み、何度も繰り返し読んでいると
だんだん、詩が見えてきます。

ひとくちメモ その2

「喜劇・三度の接唇」Comédie en trois baisersを
新字・新かな表記にして読んでみれば
古めかしい感じの「喜劇」が
少しは現代の若者たちにも近づいてきそうですが
まだまだ古めかしさはぬぐえそうもないので
いっそう現代語に近づけてみます。

喜劇・三度のキス

あの子はほとんど何にも着けていなかった、
大木は無鉄砲にも
窓ガラスに葉や枝をぶつけていた。
意地悪く、乱暴に。

ぼくの大きい椅子に座って、
半裸のあの子は、手を組んでいた。
床の上で嬉しげに
小さな足を震わせていた。

ぼくは見ていた、少々蒼ざめた顔で、
潅木の茂みにひそむ細かい光線が
あの子が微笑(する顔)や胸に飛び回るのを。
バラの木に蝿が戯れるように、

ぼくはあの子の、柔らかいくるぶしにキスした、
きまり悪げな長い笑いをかえすあの子、
その笑いは明るいトリルのようにこぼれた、
水晶のかけらのようだった。

小さな足をシュミーズの中に
引っ込めて(言った)、「邪魔なんでしょ!」
甘ったれた初めての無作法で、
あの子は笑って、罰する振りをする(だけ)。

可愛らしく、ぼくのくちびるの下でパチクリしていた
あの子の二つの眼に、ぼくはそっとキスした。
甘ったれて、あの子は後ろに頭を反らし、
「いいわよ」と言っているも同然!

「ねえ、あたし、ちょっとひとこと言いたいことあってよ」
ぼくはなおも胸にキスすると、
あの子はケタケタと笑い出した
安心した、ほがらかな笑いを……

あの子はほとんど何にも着けていなかった、
大木は無鉄砲にも
窓ガラスに葉や枝をぶつけていた。
意地悪く、乱暴に。

こうして再度読み返せば
さらに詩の中へ入った状態になれましたでしょうか。

喜劇=Comédiについての解説が
いろいろ流布(るふ)している中に
ダンテの「神曲」La Divina Commediaに遡るものもありますが
そこまで深く考えて
詩を見失わないように気をつけたほうがよいでしょう。

「喜劇」という語にも
足をすくわれないようにしたいものです。
喜劇も悲劇も人間劇には違いなく
その違いの学問は
詩を読むために邪魔になる場合があります。

男女のことは
いつもコメディーでしょうし
ラブもその響きがいつもつきまといますし
ランボーが狙いを定めているのも
そのあたりのようですから。

ついでに言っておけば
「三度」にも「永遠」ほどのニュアンスがあります。

ひとくちメモ その3

「喜劇・三度の接唇」Comédie en trois baisersを
現代の訳で読んでみましょう。

「新編中原中也全集」(角川書店)の編集委員でもある
宇佐美斉の訳は
フランス詩研究の最前線にいて
中原中也のランボー訳の研究を手がける
数少ない学者の仕事の一つとして秀逸です。

宇佐美斉がテキストにしているのは
「ドゥエ詩帖」収録のPrèmiere soiréeです。

初めての宵

《――彼女がすっかり肌をあらわにしていたので
ぶしつけな大きな大きな木々が
窓ガラスに葉叢(はむら)を伸ばしていた
ひやかすように ごく近く ごく近く

ぼくの大きな椅子に坐って
半裸の彼女は手を組んでいた
床の上では喜びにふるえていた
ほっそりと ほっそりとした彼女の小さな足が

――ぼくは見た 蝿のように血の気を失って
茂みを洩れるひとすじの光が
彼女の微笑みから乳房へと
ひらひら舞うのを――薔薇の木に蝿がまつわるように

――ぼくは口づけした 彼女の華奢な踝(くるぶし)に
彼女は粗野でやさしい笑いを洩らした
明るいトリルとなってこぼれ落ちる
水晶のきれいな笑いだった

かわいい足はシュミーズの下に
逃げ込んだ「よしてったらあ」
――最初の不作法はゆるされた
笑いが罰するふりをしていた

――かわいそうにぼくの唇の下でわなないている
彼女の双の眼に ぼくはそっと口づけした
――彼女は甘えるような顔をうしろへのけぞらせて
「あら なおさらいけないことよ……

ねえ ちょっとお小言をいわなくちゃ……」
――あとはやっとのこと彼女の胸に
口づけをあびせた すると彼女は笑い
笑いころげて 同意を示した……

――彼女がすっかり肌をあらわにしていたので
ぶしつけな大きな大きな木々が
窓ガラスに葉叢(はむら)を伸ばしていた
ひやかすように ごく近く ごく近く

(ちくま文庫「ランボー全詩集」より)

「 」の中の彼女のセリフがモダンです。
それに
中原中也の翻訳を現代語化したものと
たいへん似た調子が流れているのが感じられます。


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