物 語

人十七にもなるというと、石や金(かね)ではありません。
或る美しい夕べのこと、ーー燈火輝くカフェーの
ビールがなんだ、レモナードがなんだ?ーー
人はゆきます遊歩場、緑色濃き菩提樹下。

菩提樹のなんと薫ること、六月の佳い宵々に。
空気は大変甘くって、瞼閉じたくなるくらい。
程遠き街の響を運ぶ風
葡萄の薫り、ビールの薫り。

枝の彼方の暗い空
小さな雲が浮かんでる、
甘い顫(ふる)えに溶けもする、白い小さな
悪い星奴(め)に螫(さ)されてる。

六月の宵!……十七才!……人はほろ酔い陶然となる。
血はさながらにシャンペンで、それは頭に上ります。
人はさまよい徘徊(はいかい)し、羽搏く接唇(くちづけ)感じます
小さな小さな生き物の、羽搏く接唇(くちづけ)……

のぼせた心はありとある、物語にまで拡散し、
折しも蒼い街燈の、明りの下を過ぎゆくは
可愛いい可愛いい女の子
彼女の恐(こわ)い父親の、今日はいないをいいことに。

扨(さて)、君を、純心なりと見てとるや、
小さな靴をちょこちょこと、
彼女は忽ちやって来て、
ーーすると貴君の唇(くち)の上(へ)の、単純旋律(カヴァチナ)やがて霧散する。

貴君は恋の捕虜となり、八月の日も暑からず!
貴君は恋の捕虜となり、貴君の恋歌は彼女を笑まし。
貴君の友等は貴君を去るも、貴君関する所に非ず。
ーーさても彼女は或る夕べ、貴君に色よい手紙を呉れる。

その宵、貴君はカフェーに行き、
ビールも飲めばレモナードも飲む……
人十七にもなるというと、遊歩場の
菩提樹の味知るというと、石や金(かね)ではありません。

〔一八七〇、九月二十三日〕

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ひとくちメモ その1

「物語」Romanも
「ドゥエ詩帖」収載の1篇で
メッサン版にファクシミレがあります。

詩の中に数箇所「17歳」が歌われているところがあり
末尾に記載された「1870年9月23日」とともに
制作の背景を知る手掛かりにされることが多い作品です。

1854年10月20日生まれのランボーは
1870年9月23日には16歳になる約1か月前のことになり
この日が制作日であるとすれば
「17歳」は詐称(ハッタリ)ではないか、という推測を呼ぶのです。

成人への出発点を前にして
喜びと希望とを表明しながら
それをアイロニカルに眺めるランボー――。
詩内容は
相反する方向を孕(はら)んでいます。

とにかく
読んでみましょう。

人は17歳ともなれば、石や金(カネ)を追いかけるものではありません。
ある美しい夕べのこと、――照明で輝いているカフェの
ビールがなんだというのさ、レモネードがなんだというのさ――
(そんなモノ目当てにしないで)人は行きます、遊歩場や緑濃い菩提樹の木蔭。

菩提樹のなんと香ぐわしいこと、6月の美しい宵の数々。
空気はすごく甘くって、瞼を閉じたくなるくらい。
すこし離れた街の匂いを運ぶ風
葡萄の香り、ビールの香り。

枝の向うの暗い空
小さな雲が浮かんでる、
甘やかな顫動(ふるえ)に溶けそうな、白い小さな
星のヤツにさされてる。

6月の宵! ……17才!……人はほろ酔い、とろけそうになる。
血はシャンパンさながらに、頭の中はのぼせます。
人はさ迷いうろつき回り、唇が唇を求めているのを感じます
小さな小さな生き物の、唇が唇を……

のぼせた心は、あらゆる物語へと広がって
ちょうど青い街灯の、明かりの下を過ぎていく
可愛い可愛い女の子
彼女のこわい父親が、今日はいないのをチャンスとばかり。

さて、キミを、純心だと見極めて
小さな靴をチョコチョコと、
彼女はすぐにやって来て、
――すると、キミの唇が、歌っていたメロディーは消えてしまう。

キミは恋のとりこになって、8月の日も暑くない!
キミは恋のとりこになって、キミの歌は彼女を笑わせる。
キミの友らはアナタを去っても、キミはちっとも気にしない。
――そうして彼女はある夕べ、キミにOKの返事をくれる。

その宵、キミはカフェに行って、
ビールを飲めば、レモネードも飲み……
人は17歳ともなればというと、遊歩場の
菩提樹の味を知り、石や金(カネ)ではすみません。
(1870年9月23日)

2の第1連「螫(さ)す」は「刺す、差す、射す」などと同じような意味。
「虫」のイメージを「星」に込めたかったのでしょう。

ひとくちメモ その2

「物語」Romanが
詩の末尾にあるように1870年9月30日に制作されたものであるならば
ランボーはまだ15歳、
16歳になる少し前のことでした。

制作日の記入は
しばしば、詩の制作よりずっと後になることもあり
詩の制作が1970年9月23日以前であることは間違いないわけですから
いずれにしても15歳以前の制作であったことは確実です。

「物語」は
15歳の少年が書いた詩であるということを
まずは記憶しておきたいところですが
17歳と年齢を偽って「大人びて」見せることの理由について
単に「背伸び」して大人びるというのなら
思春期(青年期)によくある「虚勢」の表れでしょうから
取り立ててとやかく言うこともないはずですが
ランボーの場合、少し違った事情があったようです。

それは
ランボーの野心。
文学的な野望と関係します。

ひとくちメモ その3

ランボーの文学的な野望とは
1870年当時のフランス詩壇へのデビューのことです。
主流を占めていたパルナシアン(高踏派)の重鎮
テオドール・パンヴィルへ接近し
自作詩を売り込むために幾つかの手紙を書きました。

その一つが、
1870年5月24日の日付けをもつ
パンヴィル宛ての書簡です。
この書簡が
「ランボー全詩集」(宇佐美斉訳、ちくま文庫)に案内されてありますから
少し長めですが、全文を読んでおきます。

テオドール・ド・パンヴィル宛
シャルルヴィル(アルデンヌ県)1870年5月24日
テオドール・パンヴィル様

親愛なる先生、
恋の花咲く時節です。ぼくはまもなく17歳、いわゆる希望と空想にみちた年頃です。――そして今や、“ミューズ”の指に触られた子供であるぼくは、――陳腐な言い方ならお許しください、――自分の正しい信念や、希望や、感動などといった、詩人たちの領域に属することどもを、――ぼくはそれを春の芽生えと呼ぶのですが、――語り始めようとしているのです。

これらの詩篇をいくつかお送りいたしますのも、――そしてそれはすぐれた出版人である、アルフォンス・ルメールを通じてなのですが、――ぼくが、理想の美に心を奪われたすべての詩人たち、すべてのすぐれた“高踏派の詩人たち”を、――なぜって詩人とは高踏派にほかならないのですから、――愛しているからなのです。ぼくがあなたのうちに、いとも無邪気に、ロンサールの後裔、1830年代のぼくらの巨匠たちの弟、真のロマン派、本物の詩人を認めて、敬愛申し上げているからなのです。以上が理由です。――馬鹿げたことなのでしょうが、しかしそれでも。

2年後、いやおそらく1年後には、ぼくはパリに出ているでしょう。――新聞記者の諸氏よ、ボクダッテ(Anch’io)高踏派の詩人になるのですよ!――ぼくの秘めているものが何なのか、……何が湧き出ようとしているのか、まだ定かではありませんが……。――でも先生、誓って申しますが、ぼくはいつも変らずに二人の女神、“ミューズと自由”とを崇拝いたします。

これらの詩篇をお読みになって、あまり不満なお顔はなさらないでください――。先生、もしあなたが詩篇Credo inuamのために、“高踏派の詩人たち”のあいだにささやかな席を設けさせてやってくださいましたなら、ぼくは歓びと希望とで気も狂わんばかりになってしまうでしょう……。ぼくは「高踏詩集」の最新の分冊に間に合うことになるでしょう。そうなれば、世の詩人たちの信条(Credo)ともなることでしょう!……――野心よ! おお、狂気の女よ!

ここで、
「感覚」
「オフィリア」
「太陽と肉体」の3篇の詩がはさまれます。

これらの詩篇は『現代高踏詩集』にその場所を見出すことができるでしょうか?
――これらこそは、詩人たちの信念ではありませんか?
――ぼくは無名ですが、そんなことは意に介していません。詩人たちは兄弟なのです。これらの詩篇は信念を持っています。愛を持っています。希望を持っています。そしてそれがすべてです。
――先生、どうか聞いてください。ほんの少しだけぼくを持ち上げてください。ぼくは若いのです。お手を差し延べてください……。

(※行空きを加え、数字を洋数字に直しました。また、傍点は“ ”で表わしました。編者)

パンヴィルがこの手紙へ返事を書いたことが分かっていますが
それは現在でも発見されていません。


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