詩集「山羊の歌」の「女」たち

詩集「山羊の歌」の全篇のいくつかには「女」が登場します。

その「女」のほとんどが長谷川泰子をモデルにしている

といわれています。中原中也は、京都で知り合い、同棲しはじめた泰子と連れ立って上京し、東京での生活をスタートしました。1925年、大正14年3月のことでした。

その泰子が、文学仲間である小林秀雄のところへ逃げ出してしまうのは、その年の11月でした。中也と泰子の関係は、ここで断たれたわけではなく、小林秀雄自らが名づけたように「奇怪な三角関係」が、以降、ずっと続きます。

泰子を失った中也の苦しみやあわてぶり……は、後になって「私は口惜しい人であった」(「我が生活」)と記されるように、中也の心を支配し中也の悲痛ははじまります。この悲痛が歌われないわけがありません。

いま、詩集「山羊の歌」の初期詩篇22篇に表現された詩句だけをたどってみても「女」は随所に見られ、直喩、暗喩といったメタファー、シンボライゼーション(象徴化)

擬人化……など、レトリックの中に登場する「女」もあちこちに散らばっています。

例えば「春の夜」の第1連、燻銀なる窓枠の中になごやかに 一枝の花、桃色の花。とあるのは、明らかに「女」です。これはどうみても長谷川泰子ではなさそうで、長谷川泰子でなければいったい誰なのだろう、という疑問が湧いてくるのは当然です。

それを追求することは無意味ではありませんが、ここでは作品鑑賞を目的にしており伝記的事項はメーンでありませんから、作品の読みに支障がない限り詩に現れる女性が

現実の誰それであるということにはこだわりません。

とはいえ、詩集「山羊の歌」の詩の中に喩やシンボルとしてではなく現れる「女」を全篇に当たって拾ってみたら……当然過ぎる結果が出ました。

「臨終」

神もなくしるべもなくて 窓近く婦の逝きぬ

窓際に髪を洗へば その腕の優しくありぬ

「深夜の思ひ」

黒き浜辺にマルガレエテが歩み寄する

ヴェールを風に千々にされながら。

彼女の肉は跳び込まねばならぬ、

厳しい神の父なる海に!

「盲目の秋」

私の!

とにかく私は血を吐いた!……

「わが喫煙」

おまへのその、白い二本の脛が、

夕暮、港の町の寒い夕暮、

によきによきと、ペエヴの上を歩むのだ。

「妹よ」

夜、うつくしい魂は涕いて、

もう死んだつていいよう……といふのであつた。

「寒い夜の自我像」

人々の焦懆のみの愁しみや

憧れに引廻される女等の鼻唄を

わが瑣細なる罰と感じ

「みちこ」

そなたの胸は海のやう

おほらかにこそうちあぐる。

「無題」

こひ人よ、おまへがやさしくしてくれるのに、

私は強情だ。

「雪の宵」

ホテルの屋根に降る雪は

過ぎしその手か、囁きか

ほんに別れたあのをんな、

いまごろどうしてゐるのやら。

「時こそ今は……」

いかに泰子、いまこそは

しづかに一緒に、をりませう。

どうですか? 「臨終」と「みちこ」を除いて、すべてが長谷川泰子であることがはっきりと分かります。 泰子は、このほかにも「秋」では詩人と会話する相手であり、語り手として登場しますし、

「羊の歌」に、

九才の子供がありました

女の子供でありました

と書き出され、

私は炬燵にあたつてゐました

彼女は畳に坐つてゐました

と歌われる女性も

泰子であっておかしくはありません。


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