詩の出来不出来

織物の方法として知られるタペストリーとは、麻、羊毛(ウール)、絹などを使い、風景や模様を織り出した、つづれ織りのことです。

表は、完成された「絵」になって、その絵を壁掛けなどとして楽しむのですが、裏側は、描きかけの絵のような、未完成で、荒削りな乱れた織り目や、布くずが散らばっている状態です。裏は、人目に触れないから、それでよいのです。裏は、表を完成させるために存在し、表は裏がなければ存在しませんし、双方がそれぞれを必要としていて、どちらかが「偉い」という関係ではありません。

このタペストリーにたとえれば、詩集「山羊の歌」や詩集「在りし日の歌」に選ばれた詩篇が表なら、発表されなかった詩篇は裏であり、どちらも、中原中也が歌った歌に違いはありません。表と裏とを、たとえ、出来不出来の関係と見なしたとしても、どちらも中原中也の作品であることは変わりません。

このような意味で、小林秀雄が、次のように言っていることは、すこぶる重大な指摘です。

――詩の出来不出来なぞ元来この詩人には大した意味はない。それほど、詩は彼の生ま身の様なものになっていた。どんな切れっぱしにも彼自身があった。
(「中原中也の遺稿」昭和十二年十二月「文学界」)

小林秀雄が、中原中也の詩は、出来不出来を論じても無意味だ、というようなことを記したのは中原中也という詩人によって作られた詩が、ことごとく生の肉体、生身の感動を経て選び取られた言葉の切れ端であり、その切れ端は他人によっては分解できない血のようなものへと変成されそれを詩にした、そのことを抜きに巧拙を云々することの馬鹿馬鹿しさを言いたかったからで、だからといって、中原中也の詩に出来不出来がなかった、ということではありません。

中原中也の詩の一つひとつに中原中也という詩人の血脈が流れ作品のどれもが斬れば血しぶきのほとばしるようなものばかりであってもそれらには、出来不出来が当然のことながらありました。

詩人は、自作の出来不出来のために日々、苦闘し、大都会を彷徨い、酒場に通い、討論し、とっくみあいの喧嘩もし…… と言えるほどに「言葉」や「詩句」とたたかいました。

たたかう、という言葉が最も相応しい、と言えるほどに、悲しみの詩人が詩を生み出す有様はまさに、傷だらけ、満身創痍でした。そうであるからこそ、中原中也作品のことごとくが、あの、名指し得ない、なんともいえない、透明感を帯びているというわけなのです。


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