歩く詩人、東京転々

中原中也は、どんな所を歩いたか、
どこの街を歩いたのか、
と気にしながら、調べてみても、
そうやすやすと分かるわけもなく……

かわりにといってよいのか
住居を転々としていたことが見えてきます。

長谷川泰子とともに上京した1925年(大正14年)から
短い生涯を終える1937年、昭和12年までの間に
手元にある「新潮日本文学アルバム」の略年譜でたどるだけで

早稲田鶴巻町
早稲田戸塚町
中野西町
中野上町
中野西町

高井戸町下高井戸
渋谷町神山

北豊島郡長崎町
高井戸町中高井戸

代々木山谷

千駄ヶ谷872
千駄ヶ谷874

馬込町北千束

四谷区花園町

市谷谷町

神奈川県鎌倉町扇が谷

といった具合です。

上京した1925年は中也18歳
結核性脳膜炎で死去する1937年は30歳
その12年の間のことです。

2008年現在の住宅事情とは異なるとはいえ、

引越しのこの頻度に驚かされます。

歩く詩人は、住居を転々と変える人でもありました。

大岡昇平は「中原中也の思い出」の中で、「昭和三年に連れ立って東京の街をうろつき廻った頃の我々は全く呑気なものであった」と記したのに続けて……。

――歩くのはまだあまり舗装の侵入していなかった中央線沿線の檜葉垣の多い裏通りであったり、震災後めっきり増えた擬西洋風のファサードを持った商店の並ぶ旧市内の電車通りだったりするが、そういう道の先にはたいてい我々の数少ない友人の家があって、我々は昨夜夜通しで喋った疲れた頭をいわばそういう友人の家へ休めに行くのである。

と書いている。

省線の駅で三つや四つほどの距離を、
すたすた歩いてゆく詩人らの姿が
鮮やかに見えてきます。

若き日には、
詩人でなくとも、
こうした時間を過ごしたことがある

そのような時間です。

――そういう友人はたいてい留守のことが多く、結局我々はどっかそこいらの喫茶店か飲み屋に入って、永い午後をすごすことになる。

こういう時間です。

歩くといっても、このような時間を「歩く」と呼ぶ場合もあるのです。


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