妹 よ

夜、うつくしい魂は涕(な)いて、
  ――かの女こそ正当(あたりき)なのに――
夜、うつくしい魂は涕いて、
  もう死んだっていいよう……というのであった。

湿った野原の黒い土、短い草の上を
  夜風は吹いて、 
死んだっていいよう、死んだっていいよう、と、
  うつくしい魂は涕くのであった。

夜、み空はたかく、吹く風はこまやかに
  ――祈るよりほか、わたくしに、すべはなかった……

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ひとくちメモ

中原中也には
妹はいません。
なのに
「妹よ」とは
どういうことでしょうか?

その答えは、簡単なことです。
たとえば
万葉集にある次の歌

むらさきの におえる妹を 憎くあらば
人妻ゆえに われ恋いめやも(巻一)

額田王の歌として有名ですが
この中にある「妹」は「いも」と発音し
恋人を意味します。

中原中也も
この「妹」を使ったのです。

ですから
「いもうとよ」ではなく
「いもよ」と読ませたいに違いなく
この詩「妹よ」は
「いもよ」が正解の読みでしょう。

そのように限定しないで
現代語の「いもうと」の意味を持たせても
いっこうに差し支えありません。
兄の妹に対する愛情が
この詩に含まれていると読んでも
なんら問題は生じません。

その妹が
もう死んだっていいよう、と
夜の湿った野原の
黒土の短い草の上を吹く風の中で
泣くのです。

詩人が
夜露に濡れる
野の土、野の草の上を渡る風の中に
妹の泣く声を聞いたのかどうか
実際にそのようなシーンに出くわしたのか

そのような想像に傾きがちですが
この
うつくしい魂とは
夜の野原を吹く風そのものと変わりがなく
夜の野原を吹く風そのものが
うつくしい魂でありはしないか

夜の野原の風に吹かれて
詩人は
その風の音が
妹の
うつくしい魂の声に聞えたことを
歌っているように思えてきます。

その光景を思うだけで
美しい世界ですが
このようなシーンが
現実に
詩人の身に起これば
祈るほかになかったことも
わかるような気がしてくる
美しい詩です。

可愛い泰子よ
お前のいうことが
今夜は
すべて当たり前に思えているよ!


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