1

昨日まで燃えていた野が
今日茫然として、曇った空の下につづく。
一雨毎(ひとあめごと)に秋になるのだ、と人は云(い)う
秋蝉(あきぜみ)は、もはやかしこに鳴いている、
草の中の、ひともとの木の中に。

僕は煙草(たばこ)を喫(す)う。その煙が
澱(よど)んだ空気の中をくねりながら昇る。
地平線はみつめようにもみつめられない
陽炎(かげろう)の亡霊達が起(た)ったり坐(すわ)ったりしているので、
――僕は蹲(しゃが)んでしまう。

鈍い金色を滞びて、空は曇っている、――相変らずだ、――
とても高いので、僕は俯(うつむ)いてしまう。
僕は倦怠(けんたい)を観念して生きているのだよ、
煙草の味が三通(みとお)りくらいにする。
死ももう、とおくはないのかもしれない……
 
   2

『それではさよならといって、
みょうに真鍮(しんちゅう)の光沢かなんぞのような笑(えみ)を湛(たた)えて彼奴(あいつ)は、
あのドアの所を立ち去ったのだったあね。
あの笑いがどうも、生きてる者のようじゃあなかったあね。

彼奴(あいつ)の目は、沼の水が澄(す)んだ時かなんかのような色をしてたあね。
話してる時、ほかのことを考えているようだったあね。
短く切って、物を云うくせがあったあね。
つまらない事を、細かく覚えていたりしたあね。』

『ええそうよ。――死ぬってことが分っていたのだわ?
星をみてると、星が僕になるんだなんて笑ってたわよ、たった先達(せんだって)よ。

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

たった先達よ、自分の下駄(げた)を、これあどうしても僕のじゃないっていうのよ。』

   3

草がちっともゆれなかったのよ、
その上を蝶々(ちょうちょう)がとんでいたのよ。
浴衣(ゆかた)を着て、あの人縁側に立ってそれを見てるのよ。
あたしこっちからあの人の様子 見てたわよ。
あの人ジッと見てるのよ、黄色い蝶々を。
お豆腐屋の笛が方々(ほうぼう)で聞えていたわ、
あの電信柱が、夕空にクッキリしてて、
――僕、ってあの人あたしの方を振向(ふりむ)くのよ、
昨日三十貫(かん)くらいある石をコジ起しちゃった、ってのよ。
――まあどうして、どこで?ってあたし訊いたのよ。
するとね、あの人あたしの目をジッとみるのよ、
怒ってるようなのよ、まあ……あたし怖かったわ。

死ぬまえってへんなものねえ……

<スポンサーリンク>

ひとくちメモ

「中原中也全集」解説・詩Ⅰ(1967年10月)で
大岡昇平は、

(略)高森文夫の証言によれば最初に考えた題は
「修羅街輓歌」だったという。

──と、「山羊の歌」という詩集名が、
はじめ「修羅街輓歌」だったことを
明らかにしています。
戦略的に重要な位置にあった詩であるということです。

その詩にたどりつきました。
これも献呈されています。
相手は関口隆克です。

関口隆克は
後に、文部省大臣秘書課長を振り出しに
国立教育研究所長などを経て
開成学園中学、高校の校長となる人物で
1987年に亡くなります。

昭和3年(1928年)9月、中也は
豊多摩郡高井戸町(現杉並区)の関口の下宿に合流し
石田五郎と3人の共同生活を経験しました。
修羅は、
「春と修羅」(宮沢賢治)の修羅らしいのですが
修羅街としたところが中也です。

修羅街とは、東京のことでしょうか?
その街への挽歌とは
そもそも逆説でありましょうか。

それとも
あばよ!東京!
さよなら、グッバイ!
ストレートな
東京への離別宣言なのでしょうか。

詩集「在りし日の歌」の
後記の最終行

さらば東京! おお わが青春!へと、

まっしぐらに連なる意識が
すでにここにしている
と言えるのでしょうか。

いずれは
東京に別れを告げる詩人ですが
早くもこの時点での挽歌です。

4連に分けられたⅠは
「序の歌」
のっけから激しく
暗い思い出が
消えてなくなることを望む
詩人の心情が吐き出されます。
なくなれ! と命令して
なくなるものではありませんが
命令するのです。

思い出したくもない
いまわしい思い出よ
消えてなくなれ!
そして、昔の
憐れみの感情と豊かな心よ
戻って来い!

こう思っている今日は
穏やかな日曜日です。
ときおり、少年時代が懐かしく
思い出されもするのです。

Ⅱは「酔生」と題されています。
ただちに「酔生夢死」という
四字熟語が浮かびます。
その「夢死」のほうが気になるのですが
題は「酔生」のほうが採られました。

僕の青春は過ぎていった。
──おお、この、寒い朝の鶏の鳴き声よ
しぼり出すような叫びよ。

ほんとのこと
前後も省みず
がむしゃらに生きてきたものだ。

僕はあまりにも陽気だった。
──無邪気な戦士だったなあ、僕のこころよ

それにしても僕は憎む
上辺(うわべ)をとりつくろい
対外意識だけで生きている人々を。
──なんと逆説的な人生であることよ。

いま、ここに傷つき果てて
──この、寒い朝の鶏鳴よ
しぼり出すような叫びよ
おお、霜に凍えている鶏鳴よ……

Ⅲは「独語」

器の中の水が揺れないように
器を持ち運ぶことは重要であり
そうであるならば、
大きなモーションで運ぶがいい。

しかしそうするために
もはや工夫することさえやめてしまうのは
いかんいかん。

そんなふうになるんだったら
心よ
謙虚に神の恵みを待つがいい。

Ⅳは、題なし。
文語調に転じます。

とてもとても淡い今日
雨がわびしげに降り注いでいる。

「雨蕭々と」は
「史記」「刺客列伝」の
風蕭々として易水寒し、
を意識しているのでしょうか。

空気は水よりも淡く
どこからか林の香りがしてくる。

ほんとに秋も深くなった今日は
石の響きのような
無機質な生気のない日になった。

思い出さえもないのに
夢なんてあるものか。

ほんとに僕は石のように
影のように生きてきた。

何かを語ろうとしたときには言葉がなく
空のように果てしなく
とらえどころなく

悲しい僕の心よ
理由もなく拳をあげて
誰を責めようとするのか。
ああ切ない切ない。


<スポンサーリンク>