つみびとの歌

       阿部六郎に

わが生(せい)は、下手な植木師らに
あまりに夙(はや)く、手を入れられた悲しさよ!
由来(ゆらい)わが血の大方(おおかた)は
頭にのぼり、煮え返り、滾(たぎ)り泡だつ。

おちつきがなく、あせり心地(ごこち)に、
つねに外界(がいかい)に索(もと)めんとする。
その行いは愚(おろ)かで、
その考えは分ち難い。

かくてこのあわれなる木は、
粗硬(そこう)な樹皮(じゅひ)を、空と風とに、
心はたえず、追惜(ついせき)のおもいに沈み、

懶懦(らんだ)にして、とぎれとぎれの仕草(しぐさ)をもち、
人にむかっては心弱く、諂(へつら)いがちに、かくて
われにもない、愚事(ぐじ)のかぎりを仕出来(しでか)してしまう。

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ひとくちメモ

「献呈詩が続きます。
今度は、阿部六郎へ捧げます。

「三太郎の日記」で有名な
哲学者・阿部次郎の弟の六郎への献呈です。

六郎は、同人誌「白痴群」のメンバーで、
大岡昇平のいう成城グループの一人です。

ぼくの生涯は
下手くそな植木師たちに
若いうちから、手を入れられ、
されてしまった悲しさでいっぱい!

というわけで
ぼくの血の大部分は
頭にのぼり、煮え返り、たぎり、泡立つ
そういう方向に消費されます。

落ち着きがなく
焦ってばかりで
いつも外界に色々なことの答えを見い出そうとする

その行動は愚かなことばかり
その考えはだれの考えとも分かち合うことができない。

こうして、この可愛そうな木は
粗くて硬い樹皮を、空と風に剥き出しにして
心はいつも、過去を惜しんでいる。
怠けていて、一貫した行いが出来ず
人には弱々しく、へつらい
こうして、自分で思ったこともない愚行を仕出かしてしまう。

昭和3年(1928年)、父謙助が亡くなります。
中也は、父の溺愛を受けて育ちました。

生家の近くの川で遊ぶことを禁じられたために
生涯、水泳が出来ず
危険だからという理由で
自転車に乗ることを
許されませんでした。

生家の近くの川で遊ぶことを禁じられたために
生涯、水泳が出来なかったのは
危険だからという理由で
自転車に乗ることを許されなかった
都会の子に似たところがあります。

下手くそな植木師たちの筆頭に、
父謙助の名があげられても仕方はないはずでした。

でも、植木師は一人ではありません。
複数の植木師がいたのです。

「キミのためを思って言うんだよ」
といった類の助言、忠告……は
中也を窒息させるものでした。

阿部六郎よ
キミはこのことを理解するだろう。
詩人は、そう感じていたに違いありません。


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