三歳の記憶

椽側(えんがわ)に陽があたってて、
樹脂(きやに)が五彩(ごさい)に眠る時、
柿の木いっぽんある中庭は、
土は枇杷(びわ)いろ 蝿(はえ)が唸(な)く。

稚厠(おかわ)の上に 抱えられてた、
すると尻から 蛔虫(むし)が下がった。
その蛔虫が、稚厠の浅瀬で動くので
動くので、私は吃驚(びっくり)しちまった。

あああ、ほんとに怖かった
なんだか不思議に怖かった、
それでわたしはひとしきり
ひと泣き泣いて やったんだ。

ああ、怖かった怖かった
――部屋の中は ひっそりしていて、
隣家(となり)は空に 舞い去っていた!
隣家は空に 舞い去っていた!

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ひとくちメモ

「在りし日」の意味が、
「生前のこと」であり、
「過ぎ去りし日」であり、
「少年時代」であり、
「幼年時代」でもあった、
と指摘するのは大岡昇平です。

少年もの以前の
幼年ものがあり、
「在りし日の歌」7番目の歌
「三歳の記憶」はその一つです。

吉本隆明は、
思想家にして詩人ですが、
大岡昇平との対談(「詩は行動する」1974年)で、
中原中也の詩について

「どうしようもなくいいというか、しようがないという気がします」

と発言していますが、
この発言を思い出すたびに
「三歳の記憶」が浮かんできます。

この詩はすごい!
前代未聞です!
有史初です!
いかなる現代詩もまねできない!

できるとしたら
……
……
ダダです。

でも、これは、
ダダの作品ではありません。
深刻な幼時体験ですし、
世界認識の原体験ですし、
世の中の怖さの初体験ですし、
寂しさの
悲しさの
怖ろしさの
一人ぼっちの
孤独の
初めての経験です。

詩人は、
尻から下がった回虫を描写し
厠(かわや)の「浅瀬」で
それが動くのを見た、
そのことを歌うのです。

農業に人糞が使われていた時代。
寄生虫が珍しくはなかった時代。
水洗式トイレが普及していなかった時代。
それは、つい最近のことです。

リフレインが効いています。

あゝあ、ほんとに怖かつた
なんだか不思議に怖かつた、

と繰り返し
再び、

あゝ、怖かつた怖かつた

です。

最終行の

舞ひ去つてゐた!

のリフレインが

怖かつた

のリフレインにこだまし、
いっそう効果的です。

一本調子の
日本モダニズム詩に
追随できない「低み」がありますし、
それを超えることができないという意味で
「高み」がこの作品にあります。


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