雨の日

通りに雨は降りしきり、
家々の腰板古(こしいたふる)い。
もろもろの愚弄(ぐろう)の眼(まなこ)は淑(しと)やかとなり、
わたくしは、花弁(かべん)の夢をみながら目を覚ます。
     *
鳶色(とびいろ)の古刀(ことう)の鞘(さや)よ、
舌あまりの幼な友達、
おまえの額(ひたい)は四角張ってた。
わたしはおまえを思い出す。
     *
鑢(やすり)の音よ、だみ声よ、
老い疲れたる胃袋よ、
雨の中にはとおく聞け、
やさしいやさしい唇を。
     *
煉瓦(れんが)の色の憔心(しょうしん)の
見え匿(かく)れする雨の空。
賢(さかし)い少女の黒髪と、
慈父(じふ)の首(こうべ)と懐かしい……

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ひとくちメモ

「在りし日の歌」9番目の作品は
「雨の日」。
「六月の雨」に雨が続きます。

第1、第2連は、
迸(ほとばし)る詩句を
そのまま活かしたのか、
韻律を無視し
第3、第4連で、
七五調を現わします。

各連の間を※で仕切り
それぞれの独立性を強めたのか
少し、取っ付きにくい
実験的とでもいえそうな作品です。

詩人の中には
眼前にしている雨と
回想とが入り交じり
回想の途切れに
雨は降り続き
降りしきる雨を見ていると
また思い出が立ち上がり……と
繰り返しています。

雨が、回想を誘う
触媒の役を果たすのです。

腰板とは、
①男の袴(はかま)の腰に当ててある板
②壁、障子、垣などの腰部に張った板
の意味があり(広辞苑)、
ここでは②で使われています。

その腰板を打ちつける雨を
ことごとく吸い込んでしまうほどの
古びた民家の景色。
そこに住まう人々の
普段なら、愚弄するような眼は、
いま、いつになく謙虚で
淑やかですらあります。

わたくしは
花びらの夢を見ながら
眠りから覚めました。

第2連は、
突如、舌足らずだった
幼友達(おさなともだち)の
四角張った額を
思い出すわたくし。

鳶の色とは、
濃い焦げ茶色。
古びた刀を包んでいる鞘が
雨の中に現れるのは
詩人が幼時に
友達と遊んだ雨の日の
納戸とか物置などの思い出でしょうか。

幼時の思い出は
次々に甦(よみがえ)ってきます。

第3連は、
ヤスリを研ぐ音。
だみ声の父親が……
あるいは、
やさしく語る母親の声が……
遠くの方で聞こえています。

第4連。
煉瓦色の憔心、

これは、雨を見ている
現在の詩人の心でしょうか
雨の空が
ときおり、赤茶けた色に
染まることがあるのでしょうか。

賢い少女の黒髪、
慈愛あふれる父の首

ああ、
色々と思い出されてくるよ
懐かしい
ああ、懐かしい!


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