幼獣の歌

黒い夜草深い野にあって、
一匹の獣(けもの)が火消壺(ひけしつぼ)の中で
燧石(ひうちいし)を打って、星を作った。
冬を混ぜる 風が鳴って。

獣はもはや、なんにも見なかった。
カスタニェットと月光のほか
目覚ますことなき星を抱いて、
壺の中には冒瀆(ぼうとく)を迎えて。

雨後らしく思い出は一塊(いっかい)となって
風と肩を組み、波を打った。
ああ なまめかしい物語――
奴隷(どれい)も王女と美しかれよ。

  卵殻(らんかく)もどきの貴公子の微笑と
  遅鈍(ちどん)な子供の白血球とは、
  それな獣を怖がらす。

黒い夜草深い野の中で、
一匹の獣の心は燻(くすぶ)る。
黒い夜草深い野の中で――――
太古(むかし)は、独語(どくご)も美しかった!……

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ひとくちメモ

「幼獣の歌」は
「四季」の昭和11年(1936年)8月号に発表されました。

詩集の前の方に配されていても
制作は、昭和11年6月ごろと推測される
晩年、29歳の作品です。

ここでは
詩を創造することそのことが
詩の内容になっています。
詩人を、
狼かなにかの、
獣(けもの)に
しかも、幼いけものに、
喩(たと)えます。

黒い夜の、草深い野原で、
一匹の幼獣が、

火消し壷、というのは、
夜になると、
その日使っていて、
まだ使える部分の残る炭火などを
その壷に入れて消しておき、
翌日になると、
また、取り出して使うための壷のことで、

火消し壷の中で、
火打石をすって、火をつけるというのは
ふつうの人がしないことをするという意味とか
世の中に逆らって、とかの意味を示すのでしょうか

そうやって
幼獣が、星、つまり詩を作った。
野では、冬の風が、渦巻いていた。

これが、
中原中也の詩作のイメージです。

獣は、もはや、外界とか世俗とか
なにものも見なかった。
カスタネットの音とか
月の光以外のものを、見なかった。

目を覚ますことのない星、とは、
世間へ目を向けることのない作品、とか
世俗に媚(こび)を売らない詩、とか。

壷の中には
神を汚しかねないものさえ
迎え入れて
幼き獣は、
詩を作った。

雨の降った後のように
思い出は一塊になって押し寄せ
風に巻かれ、波打った
ああ、思い出とは
なんともなまめかしい物語であることか!
奴隷も王女のように美しくあってほしいもの!

卵殻(らんかく)に似て
のっぺらぼうで無表情な
どこぞとやらの御曹司の微笑と
鈍い子どもの感覚こそ
その幼獣が怖がるものだ

このあたりは
無限に理解が広がるところです。
神を冒涜することさへ
してしまうかもしれないほどの
詩人が畏怖するものへのことあげです。

そして、
第1連に
バリエーションを加えてのルフラン。

黒い夜草深い野の中で、
一匹の獣の心は燻(くすぶ)る。

完全燃焼し得ず
くすぶっている獣。

黒い夜草深い野の中で――
太古(むかし)は、独語も美しかつた!……

むかしは、
モノローグですら
美しかったのだ。

この、むかしには
太古を示しながら
名辞以前の時、という意味も
含ませているでしょう、きっと。

「幼獣の歌」には、
「明るさ」があります。
はじめとっつきにくい作品かもしれませんが
何度も何度も読んでいると、
次第にわかりはじめ
忘れられない歌になる、
といった作品の一つです。


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