この小児

コボルト空に往交(ゆきか)えば、
野に
蒼白(そうはく)の
この小児(しょうに)。

黒雲(くろくも)空にすじ引けば、
この小児
搾(しぼ)る涙は
銀の液……

  地球が二つに割れればいい、
  そして片方は洋行(ようこう)すればいい、
  すれば私はもう片方に腰掛けて
  青空をばかり――

花崗(かこう)の巌(いわお)や
浜の空
み寺(でら)の屋根や
海の果て……
 
(注)原文には、「もう片方」に傍点がつけられています。

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ひとくちメモ

寒い夜中に
泣き止まなかった
生まれたばかりの子は、
(「坊や」未発表詩篇)
 
やがて、
外気にも触れ、
ハイハイもすれば、
ヨチヨチ歩きもできるようになり、
風の中で、眠り、
風に吹かれて、笑っている
いたいけのない子どもになり、
(「山上のひととき」未発表詩篇)
 
電線のうなる風の日には
菜の花畑に
取り残され……
(「春と赤ン坊」在りし日の歌)
 
今は、
コボルトという
いたづら好きの妖精が
飛び交う
空の下にいます。
 
その空に
黒いすじが一つ現れると
この子どもは、
怯(おび)えて、
泣き出すのですが
その涙は、
銀のような液体でした。
 
詩人は
考えました
……

地球が二つに割れるといい、
そして片方は外国旅行にでも行ってしまえばいい
そうすれば、私は、
残ったほうの地球の半分に腰掛けて、
青い空を飽きるまで眺めて
詩でも書いて
暮らして行けるだろう

ここで
愛息文也であったはずの小児は
私=詩人に成り変ります!

きらきら輝く花崗岩や
海辺の空や
お寺の屋根や
海の果て……などを
歌うのさ
 
小児の歌は、
イノセンス賛歌であることを超えて、
いつしか、
詩人の立つ世界への、
不安とか
希望とか
未来とかの、
 
詩人自らに
差し迫って
重いものに向かうようです。
 
「この小児」は、
詩集14番目に配されている作品です。


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