老いたる者をして

   ――「空しき秋」第十二――
 
 
老(お)いたる者をして静謐(せいひつ)の裡(うち)にあらしめよ
そは彼等(かれら)こころゆくまで悔(く)いんためなり

吾(われ)は悔いんことを欲(ほっ)す
こころゆくまで悔ゆるは洵(まこと)に魂(たま)を休むればなり

ああ はてしもなく涕(な)かんことこそ望ましけれ
父も母も兄弟(はらから)も友も、はた見知らざる人々をも忘れて

東明(しののめ)の空の如(ごと)く丘々をわたりゆく夕べの風の如く
はたなびく小旗(こばた)の如く涕かんかな

或(ある)はまた別れの言葉の、こだまし、雲に入(い)り、野末(のずえ)にひびき
海の上(へ)の風にまじりてとことわに過ぎゆく如く……

   反 歌

ああ 吾等怯懦(われらきょうだ)のために長き間(あいだ)、いとも長き間
徒(あだ)なることにかからいて、涕くことを忘れいたりしよ、げに忘れいたりしよ……

〔空しき秋二十数篇は散佚(さんいつ)して今はなし。その第十二のみ、諸井三郎の作曲によりて残りしものなり。〕
 

 
 (注)原文には、「はたなびく」に傍点がつけられています。

<スポンサーリンク>

ひとくちメモ

「老いたる者をして」は 
昭和3年(1928)10月に制作された、という
関口隆克の証言があります。

この詩に、
諸井三郎が曲を付け、
昭和5年(1930)5月の
「スルヤ」第5回発表会で
演奏されました。

中原中也の年譜には
この発表会で
内海誓一郎作曲の
「帰郷」と「失せし希望」も
「老いたる者をして」とともに
歌われたことが記されています。
 
大岡昇平は、
 
 諸井三郎が内海誓一郎と共に、宮益坂上の長井維理(ういり)の家へ毎週水曜日寄り合って、「スルヤ」という小団体を作ったのは昭和2年の末で、彼に中原を紹介し
たのは、当時まだピアノを弾いていた河上徹太郎である。(「中原中也」角川文庫、昭和54年)
 
と、「スルヤ」と中原中也のなれそめを記録しています。
 
別のところでは、
 
 昭和3年5月から翌年1月まで、中原は下高井戸で関口隆克と自炊している。関口は後に文部省に入ったが、「スルヤ」の諸井三郎、仏文の佐藤正彰の義兄である。文
学をやっていたわけではないが、何についても一言理屈のある男で、中原を愛していた。愛情は文学と関係ないから、決して喧嘩にならない。(同上書)
 
と、書いています。
 
「白痴群」は昭和4、5年(1929、30)の活動でした。

「スルヤ」とは、
昭和2年(1927年)11月、
河上徹太郎を通じて
諸井三郎を知ったのが縁で
交流がはじまり、
その第5回発表会は、
昭和5年5月に開かれました。

しかし、
この年の後半、
詩人は、
またもや、
ピンチに立たされます。

昭和5年(1930年)6月、
「白痴群」が廃刊になったのです。
詩人の本拠地が崩れました。

詩を思う存分発表できる場を失っただけではなく
その原因となったものにより
あるいは
廃刊したことにより
交友関係が崩れ
中原中也は、弧絶するのです。
一人ぼっちになるのです。

小林秀雄との冷たい関係は復旧されておらず
大岡昇平、河上徹太郎ら、
「白痴群」同人のほとんどが、
一時的ではあれ、
詩人に距離をおき、
詩人は一人、
東京という異郷に投げ出されたという状況。

これが、
昭和5年(1930年)後半、
中原中也23歳のポジションです。
 
長谷川泰子が
年末に出産したことも
詩人の孤独をいやましにしたはずです。
泰子の子に、茂樹という名を付けるなど
この子を可愛がる中原中也ですが
そのことと
詩人の孤独とは別物であります。
 
幾人か、中也を労わりつづける友人もいました。、
安原喜弘、関口隆克……。
 
新しい友人もできました。
吉田秀和、高森文夫……。
 
「スルヤ」は音楽集団ですから
文学の戦場とは異なり
中原中也の主戦場ではありません。
決別自体がありませんから
その後も、
ゆるやかな関係が続きました。
 
「老いたる者をして」は

空しき秋二十数篇は散佚して今はなし。その第十二のみ、諸井三郎の作曲によりて残りしものなり。
 
と、詩の末尾に注釈が詩人により加えられているとおり
詩の一部です。

共同生活していた関口隆克は
16篇あった、とか
様々な説があります。
その12番。
 
老いたる者とは詩人のことでしょうか。
老人という意味であるより
軽薄であることの反意でしょうか。
 
その人を静かな環境においてあげてください
静かにしてやってください
その人を心ゆくまで悔いさせてあげるのです
 
わたしも悔いることを望みます
心ゆくまで悔いて本当に魂を休めたいのです
 
果てしなく泣きたい
父母兄弟友人……そばで見ている人のことなどすっかり忘れて泣きたい
 
東雲の空、夕方の風のように
小旗がはたはたたなびくように泣こう
 
別れの言葉が、こだまして、雲の中に消えてゆき、
野末に響き、海の上の風に混ざって、永遠に過ぎ去っていくように……
 
ああ
ここが、詩の要です
 
私たちは、長い間、怠けて
無駄なことばかりしてきて
泣くことを忘れてきたのだ
ああ
ほんとに大事なことを忘れてきたのだ――。

<スポンサーリンク>