湖 上

ポッカリ月が出ましたら、
舟を浮べて出掛けましょう。
波はヒタヒタ打つでしょう、
風も少しはあるでしょう。

沖に出たらば暗いでしょう、
櫂(かい)から滴垂(したた)る水の音(ね)は
昵懇(ちか)しいものに聞こえましょう、
――あなたの言葉の杜切(とぎ)れ間を。

月は聴き耳立てるでしょう、
すこしは降りても来るでしょう、
われら接唇(くちづけ)する時に
月は頭上にあるでしょう。

あなたはなおも、語るでしょう、
よしないことや拗言(すねごと)や、
洩(も)らさず私は聴くでしょう、
――けれど漕(こ)ぐ手はやめないで。

ポッカリ月が出ましたら、
舟を浮べて出掛けましょう、
波はヒタヒタ打つでしょう、
風も少しはあるでしょう。

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ひとくちメモ

もし、僕に、恋人がいればの話……。

まん丸の月がぽっかり出ている日には
湖にボートを漕ぎにでかけましょう
小さな波がヒタヒタとボートに打ち寄せ
風も少しはあるでしょう

沖に漕ぎ出せばそこは暗いでしょう
オールをしたたる水の音が
親しいものに聞こえるでしょう
きみが喋る言葉の途切れる合間に。

月は聞き耳立てて
僕たちの話を聞こうとするでしょう
そのために少しは下に降りて
近づいても来るでしょう
口づけするときには
真上にあるでしょう

きみは、構わずに話し続けるでしょう
たわいないことやすねごとを……
ぼくは一言も洩らさずにじっと聞いているでしょう
でも、オールを漕ぐ手はとめないで

まん丸の月がぽっかり出ている日には
湖にボートを漕ぎにでかけましょう
小さな波がヒタヒタとボートに打ち寄せ
風も少しはあるでしょう

恋人のいない青春に
中原中也が捧げる
幸せな時間――。

静かな湖での
二人だけの
やさしい時――。

「湖上」は、名作です。
恋愛詩というのでなく
恋以前に
恋を空想している青春を
見事に表現しました。

こういうのを
作ろうと思っても
なかなか作れるものでは
ありません。

制作された 昭和5年6月、といえば
「白痴群」が廃刊になった時期です。

「白痴群」は
中原中也が中心になっていた
同人詩誌でした。
同人誌のグループも解散になり、
東京生活2回目の孤絶状態に
詩人は陥ります。

大都会東京に一人投げ出された
孤独な詩人。

1回目は、言うまでもなく
長谷川泰子が、
小林秀雄の元へと遁走した事件です。
長谷川泰子事件のほとぼりは
昭和5年という時期、
まだ覚めているとは言えません。
そんな時に
「湖上」は作られました。
「湖上」に、
長谷川泰子の影がないとは言えません。

そう思って
「湖上」を読むと
いっそう深みを増します。

ポッカリ月が出ましたら、
は、長谷川泰子との間に
なにがしか希望が出てきたならば、
というような意味が込められている……。

実現しない
仮定です。
ありえないデートを
空想して
歌ったと考えることができます。

「湖上」のような
愛の時間を
中原中也と泰子は
かつて所有したのかもしれませんし、
そんなことなかったのかもしれません。

そのような想像が
この詩を読む時間の中に
広がっていくこと。
ここに、この詩の
普遍性が発生します。

「桐の花」昭和5年(1930年)8月号に掲載されました。
制作は、同5年6月です。


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