ホラホラ、これが僕の骨だ、
生きていた時の苦労にみちた
あのけがらわしい肉を破って、
しらじらと雨に洗われ、
ヌックと出た、骨の尖(さき)。

それは光沢もない、
ただいたずらにしらじらと、
雨を吸収する、
風に吹かれる、
幾分(いくぶん)空を反映する。

生きていた時に、
これが食堂の雑踏(ざっとう)の中に、
坐(すわ)っていたこともある、
みつばのおしたしを食ったこともある、
と思えばなんとも可笑(おか)しい。

ホラホラ、これが僕の骨―― 
見ているのは僕? 可笑しなことだ。
霊魂はあとに残って、
また骨の処(ところ)にやって来て、
見ているのかしら?

故郷(ふるさと)の小川のへりに、
半(なか)ばは枯れた草に立って、
見ているのは、――僕?
恰度(ちょうど)立札ほどの高さに、
骨はしらじらととんがっている。

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ひとくちメモ

人は、死んだ後の自分を見ることはできません
死んだ自分を見ることはできません
死んだ自分の肉体を見ることはできません
自分の屍(しかばね)を見ることはできません

それなのに
中原中也は、自分の骨を見ました!
ふるさとの小川のほとりの
枯れ草の中に立っていると
ちょうど立て札の高さにある
自分の骨を見たのです。

「危険ですから、泳ぐのはやめましょう」などと
書かれた立て札でしょうか

立て札の高さとは
自分の背と同じ高さほどということでしょうか

それは
胸のあたりに
立っているのでした。

生きていたときの
あの、汚らわしい肉は
すでになく
骨だけが
雨に洗われ
剥き出しになっている。

これが
食堂のにぎわいの中に座って
好物のみつばのおひたしを食べていたのかな

なんで
僕は僕の骨を見ているんだろう
おかしいなあ
霊魂が見ているのだろうか
……

やや道化た感じに読めますか。
もっと、深刻な感じですか。
人によって、読み方は、まちまちかも知れません。

「一つのメルヘン」の

さらさらとさらさらと
流れているのでありました

に通じていくような響きもあります。

初出は「紀元」昭和9年6月号。
制作は、詩篇末尾に日付がある通り、昭和9年4月28日。
昭和8年12月3日に結婚して
およそ5カ月後の制作で、
この頃、東京四谷区の花園アパートに住んでいました。


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