朝鮮女

朝鮮女(おんな)の服の紐(ひも)
秋の風にや縒(よ)れたらん
街道(かいどう)を往(ゆ)くおりおりは
子供の手をば無理に引き
額顰(ひたいしか)めし汝(な)が面(おも)ぞ
肌赤銅(はだしゃくどう)の乾物(ひもの)にて
なにを思えるその顔ぞ
――まことやわれもうらぶれし
こころに呆(ほう)け見いたりけん
われを打(うち)見ていぶかりて
子供うながし去りゆけり……
軽く立ちたる埃(ほこり)かも
何をかわれに思えとや
軽く立ちたる埃かも
何をかわれに思えとや……
・・・・・・・・・・・

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ひとくちメモ

社会に孤絶した魂が
同じ孤絶した魂に遭遇するとき
いきなりしっくりとは相会うことなく
初めは互いを怪訝な面持ちで見やり
その時はすれ違って通り過ぎるのですが
互いが視線を交わした一瞬
この人は敵ではない
それどころか仲間の一人であるかもしれない
と直観してしまう
――このような偶然は起るべくして起こるようです。

昭和10年(1935)4月頃の作と
推定される
「朝鮮女」。

「骨」「秋日狂乱」の次の
25番目に置かれています。

東京のどこかの街頭で
子連れの朝鮮人女性とすれ違った詩人は
おそらくは、物心のつきはじめた
今の中学生の年頃の女の子の手を
無理に引っ張る感じで歩み去ろうとする
額を顰めた女
日焼けして赤銅色の顔の女に
目を見はっているのです。

服の紐
秋の風にや縒(よ)れたらん

着ている民族の服の紐が
吹かれて縒れているのは秋の風に吹かれためか。

何を思っているだろう
わたしが思うことと
同じようなことを思っているだろうか
いや、わたしの思うこととは
まるで別のことを思っている、のか。

――まことやわれもうらぶれし

ほんとうにうらぶれているのは
わたしの方もなので……。

どれほどの時間だったろうか
心の中でのことだけれど
遠慮もしないで
まじまじ見ていたわたしを訝り
子どもを追い立てるようにうながしては
去っていった。

すると、ちょうど、その時
小さな風とともに
少しの埃が立ったのです。
まるで
何かを思え、とでもいわんばかりに。

いったい
何を、これ以上、思えばいいのか。
わたしが思うことに
何の変わりはない。

孤絶した魂は
すれ違ったままではなく
……
……
……

詩人は
朝鮮女に出会った、のです。


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