夏の夜に覚めてみた夢

眠ろうとして目をば閉じると
真ッ暗なグランドの上に
その日昼みた野球のナインの
ユニホームばかりほのかに白く――

ナインは各々(おのおの)守備位置にあり
狡(ずる)そうなピッチャは相も変らず
お調子者のセカンドは
相も変らぬお調子ぶりの

扨(さて)、待っているヒットは出なく
やれやれと思っていると
ナインも打者も悉(ことごと)く消え
人ッ子一人いはしないグランドは

忽(たちま)ち暑い真昼(ひる)のグランド
グランド繞(めぐ)るポプラ竝木(なみき)は
蒼々(あおあお)として葉をひるがえし
ひときわつづく蝉しぐれ
やれやれと思っているうち……眠(ね)た

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ひとくちメモ

安原喜弘宛の手紙の幾つかの中に
中原中也が帰省中の山口から出したものがあり、
その中の幾つかに
「甲子園を聞いた」ことが散見されます。

昭和7年 手紙47 8月16日(はがき) 山口市湯田
(略)毎日甲子園聞いてゐます、退屈です。上京したく、茂つぽにもあひたいですが、二十二三日迄は立てないやうです(略)

昭和9年 手紙77 8月25日(封書) 山口市湯田
御手紙有難うございました 御変りもなくて何よりです 僕はブラブラと暮らしてゐます 甲子園がある間は毎日聞いてゐました(略)

と、いったふうに。

「夏の夜に覚めてみた夢」は
夏の夜の寝入りばなに、
野球の試合の夢を見たことを歌った作品で、
詩集「在りし日の歌」の26番目にあります。

「四季」昭和10年(1935年)10月号に発表され、
同年8月ごろに制作されました(推定)。

中原中也は28歳です。
詩人生活の安定期です。
同人誌、雑誌などからの注文が
多く来ましたし、
それに応じています。

甲子園野球のほかに
昭和10年当時、
どんな野球が行われていたのか、
プロ野球や、早慶戦などの大学野球とか
都市対抗野球などもあったのか、
中原中也は、
それらを東京在住の期間に観戦することがあったのか、
わかりませんが、
全国中等学校優勝野球大会(現在の高校野球)を
帰省中にラジオでよく聞いていましたし
実家の近くの球場で行われた県予選には
足を運んだことを日記に書いています。

第1連

真ッ暗なグランドの上に
その日昼みた野球のナインの
ユニホームばかりほのかに白く――

など、
寝入りばなの網膜上の
モノクロームの画面の中に
白いユニホームの動きが
手に取るようにくっきり、
妙に鮮烈なのは
実際に試合を観戦したためのものでしょう。

そんなことを考えながら読むだけでも
面白い作品ですし

第2連

狡(ずる)さうなピッチャは相も変らず
お調子者のセカンドは
相も変らぬお調子ぶりの。

は、「いのちの声」の冒頭行の

僕はもうバッハにもモツアルトにも倦果てた。
あの幸福な、お調子者のヂャズにもすつかり倦果てた。

の流れに通じていて
ハッとさせられます。


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