わが半生

私は随分苦労して来た。
それがどうした苦労であったか、
語ろうなぞとはつゆさえ思わぬ。
またその苦労が果して価値の
あったものかなかったものか、
そんなことなぞ考えてもみぬ。

とにかく私は苦労して来た。
苦労して来たことであった!
そして、今、此処(ここ)、机の前の、
自分を見出(みいだ)すばっかりだ。
じっと手を出し眺(なが)めるほどの
ことしか私は出来ないのだ。

   外では今宵(こよい)、木の葉がそよぐ。
   はるかな気持の、春の宵だ。
   そして私は、静かに死ぬる、
   坐ったまんまで、死んでゆくのだ。

<スポンサーリンク>

ひとくちメモ

「在りし日の歌」58篇のすべては
中原中也が、生前
あちこちの詩誌、雑誌、新聞などに
発表したもので、
多い順に、
「文学界」20
「四季」14
「歴程」5
「文芸汎論」3
「紀元」2
「生活者」2
その他の計12メディアに各1篇づつ、
という内訳になっています。
(「中原中也必携」吉田煕生編により集計)

「わが半生」は
「四季」昭和11年(1936年)7月号に発表されました。

「四季」は、
前年の昭和10年(1935年)末に
正式に同人となった関係で、
「在りし日の歌」の中では
2番目に発表の多い雑誌です。

同年7月号発行のメディアへの発表作品は
このほかに
「曇天」(改造)、
「春宵感懐」(文学界)があります。

中原中也29歳。
長男文也は、
生まれて約1年10カ月の可愛い盛りです。

訳詩集「ランボウ詩抄」を」刊行したり
懸賞に応募したり
放送局(NHK)の入社面接を受けたり
相変わらず、精力的です。

しみじみと、
人生を振り返るときが
あったのでしょうか。
「在りし日」を歌う流れでしょうか。
はじまりは、

私は随分苦労して来た。

です。

苦労とは、また、中原中也にしては
ストレートです。

が、そんなものを語ろうなどとは思わない
苦労に価値があるものかなどとも考えはしない
ただ、苦労してきたなあ、と思うだけだ。
いま、机の前に座っている自分を見ていて
じっと、手を眺めるだけだ。

ぼくは、啄木とはちがう
なんて、感じていたでしょうか。

外では、木の葉がそよぎ
はるかな気持ちになります
春の宵です。
こんな夜
ぼくは、静かに死ぬ
座ったまま、死んでいくのだ。

はるかな気持ち、とは
「春宵感懐」の
第2連、

なんだかはるかな、幻想が、

の、はるかな、に連なります。

そして、ここにも
「汚れつちまつた悲しみに……」の
「倦怠のうちに死を夢む」の
流れがあります。


<スポンサーリンク>