蜻蛉に寄す

あんまり晴れてる 秋の空
赤い蜻蛉(とんぼ)が 飛んでいる
淡(あわ)い夕陽を 浴びながら
僕は野原に 立っている

遠くに工場の 煙突(えんとつ)が
夕陽にかすんで みえている
大きな溜息(ためいき) 一つついて
僕は蹲(しゃが)んで 石を拾う

その石くれの 冷たさが
漸(ようや)く手中(しゅちゅう)で ぬくもると
僕は放(ほか)して 今度は草を
夕陽を浴びてる 草を抜く

抜かれた草は 土の上で
ほのかほのかに 萎(な)えてゆく
遠くに工場の 煙突は 
夕陽に霞(かす)んで みえている

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ひとくちメモ

詩集「在りし日の歌」は
前3分の2ほどの42篇を
「在りし日の歌」
残り3分の1ほどの16篇を
「永訣の秋」に分けています。

「蜻蛉に寄す」は、42番目の作品です。
つまり、「在りし日の歌」の最後に置かれ
次から「永訣の秋」に入る
いわば、けじめの歌です。

「むらさき」という
女性向けの教養雑誌に初出。
この雑誌は、紫式部学会の編集、
制作は、昭和11年(1936)8月頃と推定されています。

この作品も、
どこかしら、
女性読者を意識しているように
感じられます。
どこそこと指摘できませんが、
平易平明な言葉使い、
流麗感のある七五調、
けれんみのない
シンプルさ、やわらかさ。

詩は
夕日の中に赤トンボが群れ飛ぶ
向こうのほうに工場の煙突が見える野原で
大きなため息をついた僕が
石を拾って放り投げ
草を抜く、
それだけの描写に終始します。

大きな溜息 一つついて
僕は蹲(しやが)んで 石を拾ふ

抜かれた草は 土の上で
ほのかほのかに 萎(な)えてゆく

敢えて絞り込んで言えば
第2連後半2行
第4連前半2行
ここが考えどころです。

詩人はなぜため息をついたのだろうか――。
草が萎えていくから、どうしたというのか――。

このあたりを考えれば
この詩に触れることができそうです。

ため息をついて
しゃがんで石を拾い
その石が手の中であたたまると
それを放り捨てる
という一連の行為は
どんなことのメタファーでしょうか。

夕日を浴びている草を抜き
その抜かれた草が
ほのかに萎えていく
という一連の行為と状態の流れは
何のメタファーでしょうか。

このあたりを考えていくと
平易な詩句が孕む
深みが見えてきて
ハッとします。


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