一つのメルヘン

秋の夜(よ)は、はるかの彼方(かなた)に、
小石ばかりの、河原があって、
それに陽は、さらさらと
さらさらと射しているのでありました。

陽といっても、まるで硅石(けいせき)か何かのようで、
非常な個体の粉末のようで、
さればこそ、さらさらと
かすかな音を立ててもいるのでした。

さて小石の上に、今しも一つの蝶がとまり、
淡い、それでいてくっきりとした
影を落としているのでした。

やがてその蝶がみえなくなると、いつのまにか、
今迄(いままで)流れてもいなかった川床に、水は
さらさらと、さらさらと流れているのでありました……

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ひとくちメモ

秋の夜なのに
陽が射している
そのうえ
蝶さえ飛んできた
小石しか見当たらない河原。

さらさらと射す
という不思議な詩句。

さらさら、は
普通なら
粉のようなもの
砂のようなものの
乾いたイメージを表す
擬音語・擬態語なのに

太陽の光の降り注ぐ様を
さらさら射す、と
言い表す。

光がさらさら
音がさらさら
水がさらさら

不思議な詩です。
いつ読んでも
新鮮な気持ちになり
洗われるのは
なぜでしょう。

ひょっとして
死のイメージの
安らかさが
よぎるからでしょうか――。

小石ばかりの、河原があつて、

……の1行が喚起する
生物のいない河原のイメージはなんだろう。

陽が硅石のようでもあり
個体の粉末のようでもあり
……

そこへ、1匹の蝶が
飛んできて起こる
革命!
河原が息を吹き返します。

大岡昇平のいうように
「異教的な天地創造神話」
とまで読むには及びませんが……。

それまで流れていなかった
川の水が
いつしか流れ出し
こんどは
その水が
さらさらと流れるきっかけには

一匹の蝶が
どこからともなくやってきて
どこへともなく飛んで行く

というのは
やはりメルヘン……。

ほかにも
いくつかの謎があります。
その謎を謎として
味わっていると
また謎が生まれ……

その謎の中にあることが
詩を味わうという至福の時間であるなら
ずっとその謎の中にありたい――。
といえるような詩です。


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