言葉なき歌

あれはとおいい処(ところ)にあるのだけれど
おれは此処(ここ)で待っていなくてはならない
此処は空気もかすかで蒼(あお)く
葱(ねぎ)の根のように仄(ほの)かに淡(あわ)い

決して急いではならない
此処で十分待っていなければならない
処女(むすめ)の眼(め)のように遥(はる)かを見遣(みや)ってはならない
たしかに此処で待っていればよい

それにしてもあれはとおいい彼方(かなた)で夕陽にけぶっていた
号笛(フィトル)の音(ね)のように太くて繊弱(せんじゃく)だった
けれどもその方へ駆け出してはならない
たしかに此処で待っていなければならない

そうすればそのうち喘(あえ)ぎも平静に復し
たしかにあすこまでゆけるに違いない
しかしあれは煙突の煙のように
とおくとおく いつまでも茜(あかね)の空にたなびいていた

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ひとくちメモ

「永訣の秋」の中の詩を読んでいると
この章の作品の選択や配列や編集に、
詩人が込めた様々な思いや
豊富な試み、たくらみ、実験……
様々な意匠=デザインに出会うことになり、
圧倒されます。

ここには、
終わりであることによって、
始まりを意味しようとする
編集上の意思のようなものが
くっきり現れます。

文也の死を悼む詩を中心に
その周りに、
女たちへの惜別の歌
都会の風景、田舎の風景を歌った詩
詩人の肖像や履歴を歌った詩
詩論や思想を盛り込んだ歌
これらのどれにも属さない「一つのメルヘン」など……

中原中也の詩の多様な流れが
ここにきて、
一所に集まり、
それぞれが、静かに声を挙げている。
そんなおもむきがあります。

東京滞在13年の生活に別れを告げ、
詩人は、
生地・山口に下る決意を固めていました。
そこで一区切りつけるための詩集の刊行でした。
「在りし日の歌」として編集し整理した原稿を
いまや「文学界」の編集に携わっていた
小林秀雄に託します。

「言葉なき歌」は、
詩人の表現論の基底に流れる
独自の詩論を述べたもので、
「名辞以前の世界」
「身一点に感じる」
「エラン・ヴィタール」など
詩が伝えようするもの―――「あれ」が、

遠いところにあり、
遠いところではあるけれど、
夕陽にけぶっていて、
フィトルの音のようにか弱く、
煙突のけむりのように、
あかねの空にたなびいて……

なかなか容易にはとらえられないもので
しかし、あせらずに、
じっと、ここで待っていなくてはならないものだ、と
詩人の心構えのようなものを述べ、
詩論や詩人論を展開したものです。

第一詩集「山羊の歌」の巻末詩「いのちの声」の

ゆふがた、空の下で、身一点に感じられれば、万事に於て文句はないのだ。

の系譜にある作品
ということができるでしょうが
タイトルからしても
ベルレーヌの「言葉なき恋歌」が
意識されていることに異論の余地はありません。


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