月夜の浜辺

月夜の晩に、ボタンが一つ
波打際(なみうちぎわ)に、落ちていた。

それを拾って、役立てようと
僕は思ったわけでもないが
なぜだかそれを捨てるに忍びず
僕はそれを、袂(たもと)に入れた。

月夜の晩に、ボタンが一つ
波打際に、落ちていた。

それを拾って、役立てようと
僕は思ったわけでもないが
   月に向ってそれは抛(ほう)れず
   浪に向ってそれは抛れず
僕はそれを、袂に入れた。

月夜の晩に、拾ったボタンは
指先に沁(し)み、心に沁みた。

月夜の晩に、拾ったボタンは
どうしてそれが、捨てられようか?

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ひとくちメモ

それ、と知らないで読んでいれば、
それなりに、いい詩だなあ、
などと、
気楽に読んでいられる詩ですが……。

月夜の浜辺に落ちていたボタン、
となると、これは、
灰皿に落ちていた輪ゴム、
ほどの必然ではなく、
全くの偶然ですから、
そんな偶然は
文也以外の何者によってももたらされることはない、
と、詩人は思いたかったのでしょうから、
それは大事にしなければならない偶然です。

それを歌っているのですから、
やはり、これは、
文也の死を悼んだ詩でありそうですが……。

この詩は
「新女苑」の昭和12年2月号に発表されたのが初出で
制作は
文也の死んだ昭和11年11月10日以前と推定されています。

となれば
ミステリーじみてくるのですが
「新女苑」に発表された詩が
「在りし日の歌」に収録される編集時期は
文也の死後であり
偶然にも
「月夜の浜辺」が
追悼詩としても成立すると見なした詩人が
「永訣の秋」の中に配置した、
と考えれば矛盾しないはずです。

中原中也が
文也の死以前に
文也の死を予感していた、
などと余計なことを考えるのはやめて
「在りし日の歌」の編集時に
これを追悼詩の一群に投じた
と考えることにしましょう。


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