村の時計

村の大きな時計は、
ひねもす動いていた

その字板(じいた)のペンキは
もう艶(つや)が消えていた

近寄ってみると、
小さなひびが沢山にあるのだった

それで夕陽が当ってさえが、
おとなしい色をしていた

時を打つ前には、
ぜいぜいと鳴った

字板が鳴るのか中の機械が鳴るのか
僕にも誰にも分らなかった

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ひとくちメモ

「村の時計」は
はじめ
「或る夜の幻想」の第2節でした。
初出の「四季」昭和12年(1937年)3月号では
全部で6節構成の長い詩でしたが
「在りし日の歌」に収める時に
第2節は「村の時計」に
第4、5、6節は「或る男の肖像」に分割されました。

大きな古びた時計がありました、
休む間もなく
その時計は動いていました、
というだけの事実を
ただ記録しているだけの詩であるかのような
まるで叙景詩のようなこの詩の味わいは
時計は絶え間なく動いているのに
止まってしまったかのような
時間そのもの……にあるのではないでしょうか。

どうして時間が止まった感じになるのでしょうか――。

文字板のペンキはつやがない
小さなひびがたくさんある
夕陽が当たっているけれどもおとなしい色
ぜいぜいと鳴る

これらが
静止した時間を
感じさせるのでしょうか――。

いかなる物語も
いま見当たりませんが、
数多の物語があった過去
過ぎ去りし日々を
思わせもします。

「四季」に初出した6節構成の詩を
「在りし日の歌」の最終編集時点で
二つの詩に分割したのは
「永訣の秋」に収録されるためのもので
分割されて「村の時計」として独立した詩には
ここに配置される理由がありました。

その理由の一つに
「佐藤春夫詩集」にある
「私の柱時計」という詩があって
詩人は遠い日にこれを読んで
記憶に留めておいたものを
モチーフに借りて
「或る夜の幻想」の第2節「村の時計」を歌ったのでした。

それを独立させても
「在りし日の歌」の「永訣の秋」に収める
十分な理由があったということになります。



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