冬の長門峡

長門峡(ちょうもんきょう)に、水は流れてありにけり。
寒い寒い日なりき。

われは料亭にありぬ。
酒酌(く)みてありぬ。

われのほか別に、
客とてもなかりけり。

水は、恰(あたか)も魂あるものの如(ごと)く、
流れ流れてありにけり。

やがても密柑(みかん)の如き夕陽、
欄干(らんかん)にこぼれたり。

ああ! ――そのような時もありき、
寒い寒い 日なりき。

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ひとくちメモ

長男文也が死んだ
1936年11月10日から数えて
「49日」近くの時間が経過した
12月24日、クリスマス・イブに、
中原中也は、
追悼詩「夏の夜の博覧会はかなしからずや」を書き、
続けて、
「冬の長門峡」を書きます。

文也を溺愛した詩人が、
昨日の出来事のように記憶している
夏の夜のひとときが
髣髴(ほうふつ)としてくる内容で
孝子夫人も、

われも三人(みたり)飛行機にのりぬ
例の廻旋する飛行機にのりぬ

と、めずらしく、
詩に登場するのが「夏の夜の博覧会はかなしからずや」ですが
これを書き終えて、
同じ日に続けて書いたのが
「冬の長門峡」でした。

続けて書いたのですから
どこかに
共通する●がありそうなものですが
まったくそれが無く
色々な面で異なる作品です。

1連が2行で、計6連12行の
簡潔な詩――。
簡潔ゆえに、
繰り返し読んでいると
深い味わいがジワジワと出てきて
心が揺さぶられているのに気づく、といった詩です。

ここでは、
文也の死は
直接に歌われません。
歌われませんが、
「夏の夜の博覧会はかなしからずや」に続けて
同じ日に歌われたという流れを知って読んでいると、

水は、恰(あたか)も魂あるものの如く、
流れ流れてありにけり。

の、「魂」に文也がかぶさってきます。

旅館の欄干にもたれて
長門峡の流れを眺めているだけを歌った詩ですが
この詩が、
単に長門峡の自然美を称揚したものでないことぐらい
理解するはずです。

一人酒、
せせらぎ、
寒い寒い日、
詩人のほかに客のいない旅館
……
しばらく
川の流れるにまかせて
音の中にまぎれ込んでいたのです
……。

そこへ
思いがけず現れた
あったかい、あったかい
蜜柑色の夕日!

寒い寒い1日の
一瞬ながら、
欄干にこぼれ落ち、
みなぎる陽の光。

永遠の一瞬……。
と思いたいのですが、
その一瞬も流れていって

ああ! ――そのやうな時もありき、
寒い寒い 日なりき。

と、もはや、そこにはいない詩人です。

長門峡の日没は
一瞬にして終わる
その歌を歌うのです。

寒い寒い日なりき。

というリフレインが利いています。


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