秋を呼ぶ雨

   1

畳の上に、灰は撒(ま)き散らされてあったのです。
僕はその中に、蹲(うずく)まったり、坐(すわ)ったり、寝ころんだりしていたのです。
秋を告げる雨は、夜明け前に降り出して、
窓が白む頃、鶏の声はそのどしゃぶりの中に起ったのです。

僕は遠い海の上で、警笛(けいてき)を鳴らしている船を思い出したりするのでした。
その煙突は白く、太くって、傾いていて、
ふてぶてしくもまた、可憐(かれん)なものに思えるのでした。
沖の方の空は、煙っていて見えないで。

僕はもうへとへとなって、何一つしようともしませんでした。
純心な恋物語を読みながら、僕は自分に訊(たず)ねるのでした、
もしかばかりの愛を享(う)けたら、自分も再び元気になるだろうか?

かばかりの女の純情を享けたならば、自分にもまた希望は返って来るだろうか?
然(しか)し……と僕は思うのでした、おまえはもう女の愛にも動きはしまい、
おまえはもう、此(こ)の世のたよりなさに、いやという程やっつけられて了(しま)ったのだ!

   2

弾力も何も失(な)くなったこのような思いは、
それを告白してみたところで、つまらないものでした。
それを告白したからとて、さっぱりするというようなこともない、
それ程までに自分の生存はもう、けがらわしいものになっていたのです。

それが嘗(かつ)て欺(あざむ)かれたことの、私に残した灰燼(かいじん)のせいだと決ったところで、
僕はその欺かれたことを、思い出しても、はや憤(いきどお)りさえしなかったのです。
僕はただ淋しさと怖れとを胸に抱いて、
灰の撒き散らされた薄明(はくめい)の部屋の中にいるのでした。

そしてただ時々一寸(ちょっと)、こんなことを思い出すのでした。
それにしてもやさしくて、理不尽(りふじん)でだけはない自分の心には、
雨だって、もう少しは怡(たの)しく響いたってよかろう…………

それなのに、自分の心は、索然(さくぜん)と最後の壁の無味を甞(な)め、
死のうかと考えてみることもなく、いやはやなんとも
隠鬱(いんうつ)なその日その日を、糊塗(こと)しているにすぎないのでした。

   3

トタンは雨に洗われて、裏店の逞(たくま)しいおかみを想(おも)わせたりしました。
それは酸っぱく、つるつるとして、尤(もっと)も、意地悪でだけはないのでした。
雨はそのおかみのうちの、箒(ほうき)のように、だらだらと降続(ふりつづ)きました。
雨はだらだらと、だらだらと、だらだらと降続きました。

瓦(かわら)は不平そうでありました、含まれるだけの雨を含んで、
それは怒り易(やす)い老地主の、不平にも似ておりました。
それにしてもそれは、持って廻(まわ)った趣味なぞよりは、
傷(いた)み果てた私の心には、却(かえっ)て健康なものとして映るのでした。

もはや人の癇癖(かんぺき)なぞにも、まるで平気である程に僕は伸び朽(く)ちていたのです。
尤も、嘘だけは癪(しゃく)に障(さわ)るのでしたが…………
人の性向を撰択するなぞということももう、
早朝のビル街のように、何か兇悪(きょうあく)な逞(たくま)しさとのみ思えるのでした。

――僕は伸びきった、ゴムの話をしたのです。
だらだらと降る、微温(びおん)の朝の雨の話を。
ひえびえと合羽(かっぱ)に降り、甲板(デッキ)に降る雨の話なら、
せめてもまだ、爽々(すがすが)しい思いを抱かせるのに、なぞ思いながら。

   4

何処(どこ)まで続くのでしょう、この長い一本道は。
嘗(かつ)てはそれを、少しづつ片附(かたづ)けてゆくということは楽しみでした。
今や麦稈真田(ばっかんさなだ)を編(あ)むというそのような楽しみも
残ってはいない程、疲れてしまっているのです。

眠れば悪夢をばかりみて、
もしそれを同情してくれる人があるとしても、
その人に、済まないと感ずるくらいなものでした。
だって、自分で諦(あきら)めきっているその一本道…………。

つまり、あらゆる道徳(モラリテ)の影は、消えちまっていたのです。
墓石(ぼせき)のように灰色に、雨をいくらでも吸うその石のように、
だらだらとだらだらと、降続くこの不幸は、
もうやむものとも思えない、秋告げるこの朝の雨のように降るのでした。

   5

僕の心が、あの精悍(せいかん)な人々を見ないようにと、
そのような祈念(きねん)をしながら、僕は傘さして雨の中を歩いていた。

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ひとくちメモ

畳の上に、灰は撒(ま)き散らされてあつたのです。
 
のっけから
詩のコアとなっている詩句が飛び出す
「秋を呼ぶ雨」は
昭和11年(1936年)7月の制作(推定)です。 
 
灰が畳の上に撒き散らされていた
とは
事件ですが……
 
読んでいくと
実際に
室内の畳の部屋が
灰で汚されている情景を歌っているのではなく
これはメタファーであることがわかります。
 
何かが
灰のようなものになってしまって
その灰が
部屋の中いっぱいに撒き散らされて
火山灰が積もったような状態――。
 
その中で
うずくまったり
座ったり
寝転んだりして
生活していたのですから
灰だらけの真っ白な人間になったのかといえば
そういうことではなく
まるでそのように
灰の中で暮しているようだったという比喩なのです。
 
その灰の正体は
やがて
明らかになるのですが
灰の散らばるような部屋で暮していた
ある日の夜明けに
秋を告げる
長々しい雨が降りはじめ
やむ気配も見せずに
どんどんどんどん降り続き
空が白むころには土砂降りになったのですが
ちょうどその激しい土砂降りのさ中に
鶏が鬨(とき)の声をあげたのです。
 
倦怠=ケダイは
いまや
真夜中を越して
明け方を迎えています。
それも霖雨の季節
土砂降りの雨
その上、
その雨の中から
鶏鳴(けいめい)が聞こえてきたのです。
 
こんな時刻に
覚醒しているものへ
詩人は
特別の感情を動かさざるを得ませんでした。
詩人の思索は
遠い海を行く汽船の警笛へと
つながっていきます。
鶏鳴が警笛を連想させ
やがて白く太く傾いた煙突を思い出させたのです。
ふてぶてしくも可憐な煙突……
沖のほうの空は
霧か雨かで煙って
よくは見えないのですが
 
僕=詩人はへとへとでした。
何一つやる気が起こりませんでした。
そばに置いてある
純愛物語を読んで
その中の主人公のように
愛というものを享受したら
自分も元気を取り戻すのだろうか――。
 
希望は返ってくるだろうか
と思うものの
女の愛などというものにも
お前はもう動かされるということもないだろう
お前は
この世の頼りなさに
いやというほど
痛めつけられてきたではないか!
 
ここまでが
<1> です
<5>まである詩の一部です
序奏です
 
「秋を呼ぶ雨」は
文芸懇話会の機関紙である
「文芸懇話会」の昭和11年9月号(同9月1日発行)に
発表されました。
 
僕=詩人は
「灰のばらまかれた部屋」にいます。
そこに
蹲(うずくま)ったり
座ったり
寝転(ねころ)んだりして
暮していました。
 
(倦怠=ケダイのモード)
 
季節の変わり目の
ある夜明け
秋のはじまりを告げる雨の中から
コケコッコーと鶏鳴が一つ……
しばらくしてまた一つ……
 
(鶏鳴は、詩人に汽笛を思い出させます)
(へとへとにくたびれている詩人)
(傍らの恋愛物語をパラパラめくる詩人)
(女の愛があっても、いま、僕は立ち上がれない……)
 
<2>にはいります。
 
女の愛などに
心が動くこともないのを
世間の水の冷たさを味わいつくしたお前は
性根(しょうこん)尽き果ててしまったのだ。
 
弾力を失ったこのような思いを
告白してみたところで
面白くありませんし
さっぱりするものでもありません。
それほどに
僕という生存は
汚れてしまっていたのです。
 
それこそが
かつて欺かれたことによって
もろもろ残された灰燼のせいだと分かっても……
 
(私を欺いたあの事件がその後そのことを思うたびに灰として堆積していったのです!)
 
詩の冒頭
 
畳の上に、灰は撒(ま)き散らされてあつたのです。
 
の「灰」の正体が
ここで明らかにされます。
 
欺かれたというのは
長谷川泰子が
小林秀雄のもとへと去った事件のことでありそうですが
その後その事件を
幾万回となく思い出しても
憤ることもなく
ただ淋しさと怖れという感情を抱えて
夜明け前の灰だらけの部屋にいるのです。
 
(あれこれと思い出した結果、残る言葉の残骸が灰燼となって堆積する)
(弾力も光沢(つや)も色香(いろか)もない思索の脱け殻が灰となる)
(考えれば考えた分だけ積もっていく灰……)
 
そうしていま
こんなことを思い出すのです。
やさしくて
理不尽なだけではない僕の心に
雨よ
雨ばかりは
少しは楽しく響いたってよかろうものなのに!
土砂降りじゃないか……
 
(この絶望的な深淵にあり)
それでもなお
僕の心は
面白くもない
最後の壁の何の味もしないのを嘗(な)めては
死のうかなどと考えることもなく
なんとも陰鬱な1日1日を
うわべを整えてやり過ごしてきたのです。
 
<3>に入って
 
屋根のトタンは雨に洗われ
裏の店のたくましい女将さんを思わせたりしました。
それ(トタン)は酸っぱくてつるつるしていても
意地悪でだけはないのでした。
雨はその女将さんのうちの箒(ほうき)のように
だらだらだらだらと降り続きました。
 
瓦は不平そうでした。
含まれる限りの雨を含んで
それは怒りっぽい老地主の不平のようでしたが
それにしても、持って廻った趣味などより
傷つき果てた私の心には
かえって健康なものに映りました。
 
(雨やトタンや瓦を描いて、詩人は内面を投影しようとしています)
 
もはや人の癇症や癖などに
まるで動じることもないほどに
僕は伸びきって腐っていたのです。
人の嘘だけは癪(しゃく)に障りましたが……
人の性向(癇癖)に好き嫌いをいうことなどはもう
早朝のビル街のような
凶悪な逞しさを要することに思えるのでした。
(そんなパワーは僕にはない)
 
――そう
僕は伸びきったゴムの話をしたのです。
だらだらだらだらと降る生ぬるい朝の雨の話を。
冷たく合羽に降りつけ
デッキをたたく雨の話なら
まだしも清々しい思いを抱かせることもできるのになどと思いながら……
 
<4>
 
どこまで続くのでしょう、この長い一本の道は
(どこまで続く泥濘=ぬかるみぞ)
(ロング・アンド・ワインディング・ロードよ)
かつてはそれを少しづつ片付けてゆくということが楽しみでした。
いまやその
コツコツと麦稈真田(ばくかんさなだ)を編むというような楽しみも
残っていないほどに僕は疲れてしまっているのです。
 
眠れば悪夢ばかり
もしそれに同情してくれる人があるにしても
その人に済まないと感じるくらいです
だって、自分で諦(あきら)めきっているその一本道を……
 
つまり
あらゆるモラリティーの影は消えてなくなってしまったのです。
墓石のように灰色で
雨をいくらでも吸う石のようで
だらだらだらだらと降り続けるこの不幸は
もう終わるとも思えない
秋を告げるこの朝の雨のように
ジトジトとジャージャーと
降るのでした。
 
<5>に入り
詩人の「現在」が明かされます。
 
僕の心が
あの精悍(せいかん)な人々に出くわさないようにと念じながら
僕は
傘をさして雨の中を歩いていたのです。
 
(あの精悍な人とは誰のことを指すのでしょうか)
(謎です)
(爆弾のような謎です)
 
現在
詩人は雨の中を
傘をさして歩いていますが
振り返った「過去」が
詩人の現在ではない
などということではありません。


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