詩人の嘆き

私の心よ怒るなよ、
ほんとに燃えるは独りでだ、
するとあとから何もかも、
夕星(ゆうづつ)ばかりが見えてくる。

マダガスカルで出来たという、
このまあ紙は夏の空、
綺麗に笑ってそのあとで、
ちっともこちらを見ないもの。

ああ喜びや悲しみや、
みんな急いで逃げるもの。
いろいろ言いたいことがある、
神様からの言伝(ことづて)もあるのに。

ほんにこれらの生活(なりわい)の
日々を立派にしようと思うのに、
丘でリズムが勝手に威張って、
そんなことは放ってしまえという。

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ひとくちメモ

「詩人の嘆き」も
中原中也が初めて編集し
未完に終わった第一詩集のための作品の一つ
昭和2―3年(1927―1928年)制作(推定)です。

詩集を編み
詩集を発行する、ということが
詩人にとって
詩人という「職業」にとって
どのようなことなのか
どのような重み
どのような意味があるのか
想像を超えたものがあります。

学究生活をしながら、とか
土方仕事のアルバイトをしながら、とか
銀行マンとして働きながら、とか
新聞記者をしながら、とか
雑誌編集者の仕事をしながら、とか
評論や雑文を書いてギャラを稼ぎながら、とか
翻訳の仕事を請け負いながら、とか……

本職があり
その上で詩を書くというのではなく
中原中也は
詩を本職にしようとしていました。
詩を生業(なりわい)にしようとしていました。

東京に出てきて
数年しかたっていない
田舎出の中原中也には
伝(つて)もコネもなく
学歴も
友人知己も……
十分にはありませんでしたが

中原家は名家でしたから
東京や横浜などに
親戚があり
頼ろうとすればできないわけでもありませんでしたが
中也が辿ろうとしているのは詩の道ですから
親戚に文学方面で活動するものはなく

拠り所は何もなく
僕は詩人だ、と自己紹介しても
甘く見られるのがオチでしたから
名刺を作るのに似て
詩集を持つということは
大事なことでした。

私家版「富永太郎詩集」の刊行に携わって
自選詩集の発行計画に
火がついたのでしょうか。
詩集に収める
詩作品そのものに
詩人のエネルギーは費やされたのです。

「詩人の嘆き」は
8―5(4―4―5)
7―5(3―4―5)
の音数律を基調にした
軽快なテンポの中に
ままならぬ詩人の道が歌われます。

丘でリズムが勝手に威張つて、
そんなことは放つてしまへといふ。

は、詩なんてやめちまえ
と詩人に立ちはだかるものは多く
嘆きの一つも出てくるのですが
ここにはいまだ
ぼやきをこぼす程度の
余裕が残されてあり
ホッとします。

この

丘でリズムが勝手に威張つて、

マダガスカルで出来たといふ、
このまあ紙は夏の空、

は、ダダかシンボリックか
他の言語に置き換えて
意味をとらえようとしないで
頭の中で反芻していると
いつか見えてきそうなフレーズです。


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