冬の日

私を愛する七十過ぎのお婆さんが、
暗い部屋で、坐(すわ)って私を迎えた。
外では雀が樋(とい)に音をさせて、
冷たい白い冬の日だった。

ほのかな下萠(したもえ)の色をした、
風も少しは吹いているのだった、
私は自信のないことだった、
紐(ひも)を結ぶような手付(てつき)をしていた。

とぎれとぎれの口笛が聞えるのだった、
下萠の色の風が吹いて。

ああ自信のないことだった、
紙魚(たこ)が一つ、颺(あが)っているのだった。

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ひとくちメモ

「冬の日」も
第一詩集のために清書された詩の一つで
制作は昭和3年(1928年)正月と推定されています。

河上徹太郎が
昭和13年10月発行の「文学界」に発表した
「中原中也の手紙」の中に
この詩は全文が引用されましたが
清書された草稿との異同は
読点1カ所だけです。

河上徹太郎の記憶によると
昭和3年に書かれた中也の河上宛書簡に
「帰郷」とともに同封されていたことになっていますから
この2作の制作は
ほぼ同時期とされていますが
詩の中に「紙魚=たこ」とある「冬の日」は
昭和3年正月制作とされるのです。

あゝ おまへはなにをして来たのだと……
吹き来る風が私に云ふ

有名な「帰郷」の一節と
「冬の日」は同じ時期に作られた
ということを知って読めば

「私を愛する七十過ぎのお婆さん」
とは
「帰郷」の
「心置きなく泣かれよと 年増婦の低い声もする」の
年増婦と同一人物なのだ! と
俄然、親しみが湧いてこようというものです。

「冬の日」と「帰郷」は
同じ状況の中で
同じような心境を歌った詩と
受け取ってよく
冬のある日に帰郷した
詩人の眼差しには
故郷の景色の一つひとつが
詩人の過去という過去のいっさいを背負って
淋しげにしかしあたたかく映ったことを
あらためて知ります。

70過ぎのお婆さん

たこ
……
 
それに、風
……

下萠(したもえ)とは
冬のさなかの小さな芽吹きのことでしょうか
緑と呼ぶには
はかな過ぎる草の芽生えの……
その色のようにか弱い風が吹いていて
「紐を結ぶやうな手付をしてゐた。」のです。

風が、紐を結ぶやうな手付、とは!
(詩人は、象徴表現を手中にしています!)

その合間
口笛が聞えてくるのです
詩人には
それがだれが吹く口笛だか
分かっていたのかもしれません
ああ、あの人も達者で暮らしている
と、思っていたかもしれません。

第一詩集は
刊行されていません。
故郷に錦を飾るようなことは
何一つできていない詩人です。

あゝ おまへはなにをして来たのだと……

向こうの空にあがる凧を眺めながら
詩人は
確かな声を聞いていました。
ほかでもない
それは
自身の確かな声でした。


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