秋の夜に、湯に浸り

秋の夜に、独りで湯に這入(はい)ることは、
淋しいじゃないか。

秋の夜に、人と湯に這入ることも亦、
淋しいじゃないか。

話の駒が合ったりすれば、
その時は楽しくもあろう

然(しか)しそれというも、何か大事なことを
わきへ置いといてのことのようには思われないか?

――秋の夜に湯に這入るには……
独りですべきか、人とすべきか?

所詮(しょせん)は何も、
決ることではあるまいぞ。

さればいっそ、潜(もぐ)って死にやれ!
それとも汝、熱中事を持て!

※    ※
  ※

四行詩

おまえはもう静かな部屋に帰るがよい。
煥発(かんぱつ)する都会の夜々の燈火(ともしび)を後(あと)に、
おまえはもう、郊外の道を辿(たど)るがよい。
そして心の呟(つぶや)きを、ゆっくりと聴くがよい。

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ひとくちメモ

中原中也生前最後の詩

「秋の夜に、湯に浸り」は
中原中也生前の最後の詩です。
「最期の詩」といってもいい詩です。

冒頭行、

秋の夜に、独りで湯に這入(はい)ることは、
淋しいぢやないか。

――は
文也のいない淋しさを歌っているのかと思わせるのですが
ストレートにそうではなく
人一般の話にして
秋の夜には、一人で湯に入ることが
淋しいことだけれど
人と一緒に湯に入ることも
淋しいことじゃないか、と
人の世の営みの根っこにある淋しさへと向かいます。

一人で入るか
二人で入るか
みんなで入るか
そんなこと決まることじゃありません

ならばいっそ
潜って死んでしまえ!
それとも
熱中する事を持て!

――と、やぶれかぶれに逃げる感じなのは
心の芯にある淋しさを
どうすることもできないということを
歌いたかったのでしょうか。

「秋の夜に、湯に浸り」と「四行詩」との間には
どれほどの時間が流れたことでしょうか。
ひと呼吸あって
静謐な時が訪れます――。

おまえはもう
静かな部屋に
帰るがよい。

おまへはもう
郊外の道を
辿(たど)るがよい。

心の呟(つぶや)きを、
ゆつくりと聴くがよい。

あたかも、
自らの死に
したがうかのようでありながら、

自分の生存への
エールのような
うたを
きざみ……

その何日か後に
亡くなりました。

「四行詩」は
中也「最期の詩」です。


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