(疲れやつれた美しい顔よ)

疲れやつれた美しい顔よ、
私はおまえを愛す。
そうあるがよかったかも知れない多くの元気な顔たちの中に、
私は容易におまえを見付ける。

それはもう、疲れしぼみ、
悔とさびしい微笑としか持ってはおらぬけれど、
それは此(こ)の世の親しみのかずかずが、
縺(もつ)れ合い、香となって籠る(こも)壺(つぼ)なんだ。

そこに此の世の喜びの話や悲しみの話は、
彼のためには大きすぎる声で語られ、
彼の瞳はうるみ、
語り手は去ってゆく。

彼が残るのは、十分諦(あきら)めてだ。
だが諦めとは思わないでだ。
その時だ、その壺が花を開く、
その花は、夜の部屋でみる、三色菫(さんしきすみれ)だ

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ひとくちメモ

疲れやつれた美しい顔は
死顔でしょうか――。
死顔に呼びかけているのでしょうか――。

そうあるべきがよかったかもしれない
そのようにあるべきであったほうがよかったかもしれない

と、あたかもその死顔の美しく
美しい死顔を「認めて」しまわざるを得ない兄・詩人は
はたと、弟の死を認めてしまっている自分に気づいて
いや
多くの元気な顔に混じって
お前の顔があるのを
簡単に見つけることができる、と
生きていたときの弟を振り返ります――。

その顔は
疲れしぼんで
悔いとさびしい微笑ばかりが浮んだ顔で
それはこの世に生きて親しんだ数々の
(喜びも楽しみもが)縺(もつ)れあって、
香となって籠(こ)もる壷なのだ

そこにお前がこの世に生きて
味わった喜びや悲しみの経験は詰まっていて
それらが口々に
死んでしまった弟には大きすぎる声で語られ
その瞳に涙をうるませては
去っていく。

彼=詩人が
亡骸の傍に残っているのは
十分に弟の死を認めたうえでのことだ
だがそれは諦めというのとは違う
(俺の中で
弟は死んでいない)
(と、そう思うとき)
その時に、壷が花を開くのが見える
その花は
夜の部屋の明かりに
なおさらくっきりとした輪郭をみせて咲く
三色菫の花だ――。

「早大ノート」に書きとめられた
弟・恰三の死を追悼した詩は
(ポロリ、ポロリと死んでゆく)
(疲れやつれた美しい顔よ)
死別の翌日
――の3作品ですが
このうち
(疲れやつれた美しい顔よ)と
「死別の翌日」の2篇は、
後に、
昭和6年(1931年)10月9日付け
僚友・安原喜弘宛書簡に
清書されたうえで
添付されました。

「悲しき画面」が
フランス語に改題されて
安原に送られたのは
「公開」であり
そのための清書であったのと同じ意味で
この詩も句読点などに若干の変更があるものの
ほとんど同一内容の清書草稿で
そのうえ
2作ともタイトルが付けられていますから
完成稿と理解できます。

(疲れやつれた美しい顔よ)は
草稿と完成稿と
二つの作品として扱われるために
草稿詩篇(1931年―1932年)にも
収録されています。

弟の恰三は
明治44年生まれで
中原中也より4歳年下になる次の次の弟。
昭和6年(1931年)9月27日に
郷里・山口で死亡しました。

「早大ノート」中の3作品のほかに
「梅雨と弟」(「少女の友」昭和12年8月号)
「蝉」(昭和8年8月14日)
「秋岸清涼居士」(昭和9年10月20日)
「月下の告白」(同日)

小説「亡弟」があります。


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