嬰 児

カワイラチイネ、
おまえさんの鼻は、人間の鼻の模型だよ、
ホ、笑ってら、てんでこっちが笑うと、
いよいよ尤(もっと)もらしく笑い出す、おまえは
俺の心を和(やわら)げてくれるよ、ほんにさ、無精(むしょう)に和げてくれる、

その眼は大人っぽく、
横顔は、なんだか世間を知ってるようだ、
おまえを俺がどんなに愛しているか、
おまえは知らないけれど知ってるようなもんだ。

ホ、また笑ってる、声さえ立てて笑っている、
そのような笑いを大人達は頓馬(とんま)な笑いだという。
けれども俺は知っている、
生れてきたことは嬉(うれ)しいことなんだ
ただそれだけで既に十分嬉しいことなんだ

なんにもあせることなく、ただノオノオと、
生きていられる者があったらそいつはほんとに偉いんだ、
俺は知っている、おまえのように
生きているだけで既に嬉しい心を私は十分知っている。

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ひとくちメモ

しばらく
タイトルなしの詩篇が続きましたが
「嬰児」は
詩人によって
しっかりと記された
詩のタイトルです。

はじめ、「赤ン坊」
次に、「乳児」が
最終形で、「嬰児」になりました。

これを
えいじ、と読むか
みどりご、と読むか
不明です。

タイトルを付けた、ということは
完成形に近いことを示していて
詩人は
この作品に一定程度、満足していたことが
推察されます。

中原中也25歳。
この嬰児は長谷川泰子が生んだ
演出家・山川幸世との子
と、とるのが自然で、
茂樹という名は
詩人が命名したものです。

当時、最も親交の深かった
「白痴群」の同人
安原喜弘宛の書簡には
何度も、茂樹のことが出てきます。

「山羊の歌」出版の
進行がはかどらず、
疲労困憊するばかりの詩人が
問答無用に癒される時間が
茂樹との接触で
得られたのでしょうか。

カワイラチイ赤ん坊に
メロメロの詩人ですが
赤ん坊がひたすら嬉しがる様子、
生れてきたことが嬉しいことであり
それだけで十分に嬉しいことなんだ、
と観察する目が光ります。

大人たちが
とうに忘れてしまった
生きているだけですでに嬉しい心に共感する詩人が
ここにいるのです。


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