(他愛もない僕の歌が)

他愛(たあい)もない僕の歌が
何かの役には立つでしょうか?
僕の気は余り確かではありません
僕は死んだ方がましだと昨日思いました

芸術とは、畢(つい)に生活の余裕の
アナルキスチイクな希望です。
世話場への関心は、
詩人には何の利益をも齎(もたら)しません。

この上もう一段余裕がなくなれば、
カチカチのパンを寝床(ねどこ)の上でかじりながら、
汲(く)み置きの水を飲みながら、

ギタアのレコードかけて、
泣き笑いしたり、洟をかんだり、
いとも壮厳(そうごん)な死に際(ぎわ)を演じてごらんにいれます。

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ひとくちメモ

「早大ノート」中で、
(他愛もない僕の歌が)は、
(月の光は音もなし)に続けて書かれた作品
と推定されていますが、
詩内容も
詩や詩人についてであるのは、
この頃、
第一詩集「山羊の歌」の出版が
ままならなかったことによるものでしょうか。

詩や詩人を理解しない世間へ向けて
泣き言の一つを
言いたくなった詩人の姿を
容易に想像することができますが、
これは泣き言ではなく、
一つの立派な詩論ですし
詩人論でもあります。

詩を書くことを
自問しなければならない状況に
詩人は追い込まれていたのです。

形への意志に満ちていた
(月の光は音もなし)と同じく
(他愛もない僕の歌が)にも
4-4-3-3のソネットという
形へのこだわりがありますが、
こちらの内容は
直情的で
あからさまです。

第1連の
僕は死んだ方がましだと昨日思ひました
は、詩人の内部に
そのような感情が去来したことを
偽りなく表している、
と読めるのが、

最終連で
いとも壮麗な死に際を演じてごらんにいれます。
と、ややお道化て、
突き放している感じになっているのは、
この間、
恢復が起こったことを想像できるので
やはり胸を打つものがあります。

芸術(=詩作)は、
つまるところ
生活に余裕があった上で
当たるも八卦でしかない希望だ
義理人情の世間に関心をもっても
詩人には何の役にも立ちはしないのさ。

詩で食っていけなくても
コチコチのパンを寝床でかじって
水飲んで
でも、
僕は、清貧なんて柄じゃないよ

ギター協奏曲バンバン鳴らして
泣いて笑って、
ついでに洟(はな)もかんでやったりして
壮麗な死に際を演出してみせまさあ

否!

詩人は
いつもこんな気持ちを抱いて
夜の街を
酒場を
彷徨(さまよ)っていたのかもしれません。

このように
命がけで
詩を書こうとしていたのですから……。


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