(宵に寝て、秋の夜中に目が覚めて)

宵(よい)に寝て、秋の夜中に目が覚めて
汽車の汽笛の音(ね)を聞いた。

三富朽葉(くちば)よ、いまいずこ、
明治時代よ、人力も
今はすたれて瓦斯燈(ガスとう)は
記憶の彼方(かなた)に明滅す。

宵に寝て、秋の夜中に目が覚めて
汽車の汽笛の音を聞いた。

亡き明治ではあるけれど
豆電球をツトとぼし
秋の夜中に天井を
みれば明治も甦る。

ああ甦れ、甦れ、
今宵故人が風貌(ふうぼう)の
げになつかしいなつかしい。
死んだ明治も甦れ。

宵に寝て、秋の夜中に目が覚めて
汽車の汽笛の音を聞いた。

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ひとくちメモ

(宵に寝て、秋の夜中に目が覚めて)は、
つい少し前の作と想定される、
(僕達の記臆力は鈍いから)の中で
明治天皇御大葬、あゝあの頃はほんによかつた、と
歌ったのと同じに
古き佳き明治時代と、
その時代の詩人、
三富朽葉(みとみきゅうよう)への
オマージュ(賛歌)であり
詩人の祈りです。

<三富朽葉>
三富 朽葉(みとみ きゅうよう、1889年8月14日-1917年8月2日)は、日本の詩人である。
本名は義臣。長崎県石田郡武生水村(現・壱岐市)生まれ。父・道臣は石田郡長を務めた。早稲田大学英文科卒業。自由詩社同人。同人の人見東明、加藤介春、福田夕咲らとともに、自由詩風で認められ、またフランス文学批評をも著したが、犬吠埼君ヶ浜で溺れた友人・今井白楊を助けようとしてそのまま水死した。「三富朽葉詩集」1巻(1917年)が遺った。
(Wikipediaより)

中原中也は、
フランス語を学び初めたころに
三富朽葉詩集訳(大正15年)を知っていて
中の「わがさすらひ」(ランボー)を読んでいた関係で
三富の仕事を評価していました。

夜長の秋の宵に
いったんは就寝したものの
深夜目が覚めて、
汽車の汽笛を聞いては
すっきりと目が覚めてしまい、

いまや懐かしい明治の詩人・三富朽葉のことを思い出してから、
明治時代へと思いは広がり、
人力車や
ガス燈……
などのイメージが
次々に浮かんでくるのでした。

そうして
眠れぬ夜を
天井と睨(にら)めっこする詩人には
豆電球の灯りの中に
今は亡き詩人・朽葉も
遠くなった明治時代も
ありありと甦ってきて
ますます眠れなくなってきました。

ええい、ままよ
眠れなくて結構だ
甦れよ!
今宵は故人の風貌が
ほんとに懐かしい!
死んでしまった明治ともども
甦れよ!

父・謙助や母・フクの思い出も
この中に出てきたはずですが
この詩には登場しません。


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