疲れやつれた美しい顔

疲れやつれた美しい顔よ、
私はおまえを愛す。
そうあるべきがよかったかも知れない多くの元気な顔たちの中に、
私は容易におまえを見付ける。

それはもう、疲れしぼみ、
悔とさびしい微笑としか持ってはおらぬけれど、
それは此(こ)の世の親しみのかずかずが、
縺(もつ)れ合い、香となって蘢(こも)る壺(つぼ)なんだ。

そこに此の世の喜びの話や悲しみの話は、
彼のためには大きすぎる声で語られ、
彼の瞳はうるみ、
語り手は去ってゆく。

彼が残るのは、十分諦(あきら)めてだ。
だが諦めとは思わないでだ。
その時だ、その壺が花を開く、
その花は、夜の部屋にみる、三色菫(さんしきすみれ)だ。

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ひとくちメモ

「疲れやつれた美しい顔」は
はじめ「早大ノート」に記されて
タイトルがなかったものを
安原喜弘宛書簡(昭和6年10月9日付)に
清書されて同封されたものを
草稿詩篇に分類したものです。
 
安原宛に同封された清書稿は
「疲れやつれた美しい顔」と題され
わずかな修正が加えられました。
 
死んだ弟の死顔と対面して
そう遠くはない日に書かれたこの詩の
最終行は
弟が、夜の明かりを背景に
三色菫として立ち現れる
幻想のようなシーンですが
 
通夜の晩か
出棺の前の夜かに
詩人の目には
弟の亡骸(なきがら)が
凛々しくも
あざやかに
うつくしく……
見えた瞬間があったのであろうことが想像されます。


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