修羅街挽歌 其の二

Ⅰ 友に与うる書

暁は、紫の色、
明け初めて
わが友等みな、
我を去るや……
否よ否、
暁は、紫の色に、
明け初めてわが友等みな、
一堂に、会するべしな。
弱き身の、
強がりや怯(おび)え、おぞましし
弱き身の、弱き心の
強がりは、猶(なお)おぞましけれど
恕(ゆる)せかし 弱き身の
さるにても、心なよらか
弱き身の、心なよらか
折るることなし。
(Ⅱ 一九三二・一二・二七 Matin)

Ⅱ ゴムマリの歌

ゴムマリか、なさけない
ゴムマリか、なさけない
ゴムマリは、キャラメル食べて
ゴムマリは、ギッタギダギダ

ゴムマリは、ころべどころべど
ゴムマリはゴムのマリなり
ゴムマリを待つは不運か
ゴムマリは、涙流すか

ゴムマリは、ころんでいって、
ゴムマリは、天寿に至る
ゴムマリは、天寿に至り
ゴムマリは天寿のマリよ
(Ⅰ 一九三二・一二・二七 Matin)

強がった心というものが、
それがゴムマリみたいなものだということは分る
ゴムマリというものは
幼稚園ではある

ゴムマリというものが、
幼稚園であるとはいえ
幼稚園の中にも亦(また)
色んな童児があろう

金色の、虹の話や
蒼窮(そうきゅう)を歌う童児、
金色の虹の話や、
蒼窮を、語る童児、

又、鼻ただれ、眼はトラホーム、
涙する、童児もあろう

いずれみな、人の姿ぞ
いずれみな、人の心の、折々の姿であるぞ

僕が、妥協的だと思っては不可(いけ)ない
僕は、妥協する、わけではない

僕には、たくらみがないばかりだ
僕の心持は、どう変りようもありはしない

僕の心持が、ときどきとばっちることはあったが
それは僕の友が、少々つれなかったからでもあった

もちろん僕が、頑(かたく)なであったには相違ないが、
それにしても、君等、少々冷淡であった。

風の中から僕が抜け出て来た時
一寸(ちょっと)ばかり、唇(くちびる)が乾いていたとて
一寸ばかり、それをみてさえくれれば、
僕も猶(なお)和やかであったろう

でもまあいい、もうすんだこと
これからは、僕も亦猶(またなお)
ヒステリックになるまいゆえに
君等 また はやぎめで顔見合わせて嬉しがらずに呉(く)れ。

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ひとくちメモ

「山羊の歌」中の「修羅街輓歌」には、
もう一つの作品があります。

「未発表詩篇」中の「草稿詩篇(1931-32)」として
分類されるもので、
「修羅街挽歌 其の二」のタイトルがつけられています。
こちらは、「輓歌」ではなく
「挽歌」で、4章仕立てです。

「彼の口にするのは、離反した友人たちの名であった。」(「中原中也の手紙」所収「中原中也のこと」)

――と、親友・安原喜弘が書いた
1932年後半という時期の
中原中也の孤立した状況は、
「お会式の夜」
「蒼ざめし我の心よ」
(辛いこつた辛いこつた!)から
測り知ることができますが
もっとも激しい調子を持つのが
「修羅街挽歌 其の二」です。

中原中也が力を注いでいた
同人誌「白痴群」の廃刊と、
それにともなう集団の崩壊……。

友人関係の崩壊、
という言い方は客観的に過ぎることを
思わせる作品に驚かされます。

中原中也は
集団の中心にいた当事者であり
廃刊を客観的に捉えられる状況にはありませんでした。

わが友等みな、
我を去るや……

ここには、
悲痛な響きというより
憤怒が感じられます。

押さえに押さえても
立ち現れてくる憤り……。

Ⅱは、「ゴムマリの歌」と題し、
ゴムのマリそのものに
詩人を投影し、
悲しみと怒りを歌います。

Ⅲも、ゴムマリの歌ですが
完成作とみなさなかったのでしょうか
Ⅳとともに、
未完成ゆえに
生の心が出ています。

ゴムマリを幼稚園にたとえて
幼稚園には色々な児童がいる、と、
又、鼻ただれ、眼はトラホーム、
涙する、童児もあらう
――と歌う烈(はげ)しさには
ただならぬものがあります。

結局は、この詩ではない「修羅街輓歌」が
関口隆克に献じられたのですが
献じられた関口は、
「其の二」を読んでいないと思われるのに
(ひょっとして読んでいたのかもしれません)
詩人の怒りをよく知っていた節があります。

第1章は、
「友に与うる書」です
自分から去った友へ
呼びかける口調はか弱く
遠慮がちにはじまります……

暁は、紫の色、
明け初めて
わが友等みな、
我を去るや……
否よ否、
暁は、紫の色に、
明け初めてわが友等みな、
一堂に、会するべしな。

友らは私から去って
どこかで
集まっているようだな

弱き身の、
強がりや怯(おび)え、おぞましし
弱き身の、弱き心の
強がりは、猶(なお)おぞましけれど
恕(ゆる)せかし 弱き身の
さるにても、心なよらか
弱き身の、心なよらか
折るることなし。

どうせか弱き人間のことよ
強がり
おびえ……
折れ合う心もないのであろうよ

第2章は、
「ゴムマリの歌」に転じます。

詩人がゴムマリか
友人たちがゴムマリか
たぶん
詩人はゴムマリのように扱われたことがあり
いまゴムマリになってみて
ゴムマリを代弁します

ゴムマリか、なさけない
ゴムマリか、なさけない
ゴムマリは、キャラメル食べて
ゴムマリは、ギツダギダギダ
ゴムマリは、ころべどころべど
ゴムマリはゴムのマリなり
ゴムマリを待つは不運か
ゴムマリは、涙流すか
ゴムマリは、ころんでいって、
ゴムマリは、天寿に至る
ゴムマリは、天寿に至り
ゴムマリは天寿のマリよ

第3章は、
Ⅲと章番号だけの無題ですが
ゴムマリを分析しています。

ゴムマリにも色々あり
みんな人であることに変りはない、と
ゴムマリのスタンスをとります

第4章は、
Ⅳの章番号だけの無題ですが、
僕の主張になります。

僕にも非があったが
僕の友にも非があった
と歌い
でもまあいい、もうすんだこと
と、終わったことにしますが、

最後には、
君等 また はやぎめで顔見合わせて嬉しがらずに呉(く)れ。
――と、
君たち、早合点して
みんなで顔を見合わせて
嬉しがらずにいてくれよ、と
注文をつけるのです。

詩人も
あくまで
妥協しないのです。


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