(辛いこった辛いこった!)

辛いこった辛いこった!
なまなか伝説的存在にされて
ああ、この言語玩弄(がんろう)者達の世に、
なまなか伝説的存在にされて、
(パンを奪われ花は与えられ)
ああ、小児病者の横行の世に!

奴等(やつら)の頭は言葉でガラガラになり、
奴等の心は根も葉もないのだ。
野望の上に造花は咲いて
迷った人心は造花に凭(すが)る。
造花作りは花屋を恨む、
さて、花は造花程口がきけない。
造花作りの羽振(はぶり)のよさは、
ああ、滑稽(こっけい)なこった滑稽なこった。
それが滑稽だとみえないばかりに、
花の言葉はみなしゃらくさい。
舌もつれようともつれまいと
花に嘘(うそ)などつけはしないんだ。

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ひとくちメモ

(辛いこつた辛いこつた!)は、 
「蒼ざめし我の心に」と 
同時期に制作されたであろうことは、 
使われた原稿用紙が同一であり 
筆跡がこの頃書かれたほかの原稿と似ているから 
などという理由に加えて
訴求する内容や 
憤激の情調とかが 
同種の響きを持っている、と
言えるからかもしれません。

「蒼ざめし我の心に」に比べれば 
(辛いこつた辛いこつた!)には 
ややお道化て 
突き放した感じがあるので
詩人のコンディションは 
復調を兆しているとも受け取れますが……
辛い状態が続いていたことに 
変わりはありません。

詩人は 
浮世を上手に渡って暮らす 
平々凡々の市民を 
憐憫の目で見ることはあっても 
軽蔑のまなこを向けることはないのですが 
この詩には 
言語玩弄者達とか 
小児病者とか 
一般市民ではない相手に 
批判の矛先を向けている様子があります。

想像できるのは 
文壇のボスどもや取り巻きとか 
牙城に閉じこもりひからびたテーマとやらに埋没する学者どもとか 
調子のいいことばかり言って稼いでいる売文家とか

要するに 
知的な職業についている者で
おのれの放つ言説が 
広告のように伝播して 
一つの伝説を作り上げることに無神経な 
小児病者が横行闊歩していて 
詩人を生き辛くさせているのを
黙って見ていてはいられないのです。

言語玩弄者達と 
一くくりして 
詩人が批判しようとした者の中には 
友人・知己も含まれていて
「街角の警官も親しい友人も」が 
悪意を抱いて 
詩人を攻撃してくるという 
被害妄想の傾向を帯びていたらしく……

この頃 
詩人と行動をともにしていた 
安原喜弘の証言は 
戦後も10数年を経た回想ではあるものの 
信用するほかにない説得力があります。

やつ等の頭の中には言葉が詰まっている 
ガラガラ詰まっていて 
どんな言葉もあるけれど 
心がない 
心があっても根も葉もない 
嘘っぱちの心だ

そもそも大元にあるのは野望 
野望の上に造花を咲かせ 
迷った人はすぐに造花を求める 
こうして造花作りは花屋を嫌い 
いよいよ、花は造花ほどには口をきけなくなる

造花作りの羽ぶりのよいこと! 
ああ、なんと滑稽なこった滑稽なこった 
それが滑稽だとは見えないほど 
花の言葉はしゃらくさい、 
舌がもつれようがもつれまいが 
花に嘘はつけないから 
きれいだけれど伝わるものがないんだ

直球の中に
じれったさそうに 
もどかしそうに 
詩人は心の丈を 
吐露していますが 
詩=ポエムへの意思は 
捨てられたわけでないことは 
詩が語っています。


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