3 エルキュルとアケロュス河の戦い

嘗て水に膨らむだアケロュスの河は氾濫し、
谷間に入って迸り、その騒擾いはんかたなく、
そが浪に畜群と稔りよき収穫を薙ぎ倒し、
人家悉く潰滅し、みはるかす田畠(でんぱた)は砂漠と化した。
かくてニンフはその谷を去り、
フォーヌ合唱隊亦鳴りを静め、
人々は唯手を拱(こまぬ)いて河の怒りを眺めていた。
此の有様をみたエルキュルは、憐憫の思いに駆られ、
河の怒りを鎮めむものと巨大な躯(み)をば跳(おど)らせて、
逞しい双腕に泡立つ浪を逐いまくし、
そがもとの河床に治まるように努めたのだ。
制(おさ)えられたる河浪は、怒濤をなして呟きながらも、
やがて蜿蜒たるもとの姿にかえったが、
河は息切(いきぎ)れ、歯軋(はぎし)りし、そが蒼曇る背をのたくらし、
そが険呑(けんのん)な尾で以て荒(すが)れた岸を打っていた。
エルキュルは再び身をば投入れて、腕をもて河の頸をば締めつけた、その抵抗も物
の数かは
河は懲され、エルキュルは、その上に、大木の幹を振り翳(かざ)し、
ひっぱたきひっぱたく、河は瀕死の態(てい)となり砂原の上にのめされた。
扨エルキュルは立直り、《此の腕前を知らんかい、たわけ奴(め)が!
我猶揺籃にありし頃、二頭の竜(ドラゴン)打って取ったる
かの時既に鍛えたる此の我が腕を知らんかい!……》

河は慚愧に顛動し、覆えされたる栄誉をば、
思えば胸は悲痛に滾(たぎ)ち、跳ねて狂えば
獰猛の眼(まなこ)は炎と燃え熾(さか)り、角は突っ立ち風を切り、
咆ゆれば天も顫えたり。
エルキュルこれを見ていたく笑いて
ひっ捉え、振り廻し、痙攣《ひきつけ》はじめしその五体
鞺(とう)とばかりに投げ出だし、膝にて頸をば圧え付け、
腰に咽喉(のど)をば敷き据えて、打ち叩き打ち叩き
力の限りに懲しめば、やがては河も悶絶す。
息を絶えたる怪物に、勇ましきかなエルキュルは、
打跨って血濡れたる、額の角を引抜いて、茲に捷利を完うす。
かくてフォーヌやドリアード、ニンフ姉妹の合唱隊(コーラス)は、
減水と富源のために働いた、彼等が勇士の愉しげに
今は木蔭に憩いつつ、
古き捷利を思い合わする勇士に近づき、
かろやかに彼のめぐりをとりかこみ、
花の冠・葉飾りを、それの額に冠(かず)けたり。
さて皆の者、彼の近くにころがりいたりし
かの角をばその手にとらせ、血に濡れたその戦利品をば
美味な果実と薫り佳き花々をもて飾ったのだ。

千八百六十九年九月一日
シャルルヴィル公立中学通学生
ランボー・アルチュール


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ひとくちメモ

「ランボオ詩集《学校時代の詩》」には
5篇の詩が収録されています。
ランボー没後40余年を経た1932年に
メルキュール・ド・フランス社から
「Vers de Collège」のタイトルで発行されました。

昭和8年12月に
これを中原中也の日本語訳として発行したのは
三笠書房という出版社で
中原中也が創刊同人であった雑誌「紀元」に
ランボーの訳詩を発表した関係からの出版でした。

昭和8年は、1933年ですから
原典の発行から1年後ということになり
当時の日本の翻訳出版事情を垣間見ることができます。
戦争へ向かう時代ながら
活発な文化交流が行われていたことが想像されます。

3作目の
「エルキュルとアケロユス河の戦ひ」を読みます。

「エルキュル」は聞きなれませんが
ヘラクレスのことで
ご存知の、ギリシア神話の英雄で
怪力としてよく知られています。
そのヘラクレスが戦った
アケロス河の戦いを歌ったラテン語詩です。
河の名になった神アケロスを
ヘラクレスが散々に征伐する神話が歌われています。

ここでも、
中原中也訳の原作を
歴史的表記を現代表記に改変した上に
難漢字を書き換えたり
漢字をひらがなにしたり
文語を口語に変えたり
語句・句読点の追加削除や改行なども加えたりして
「意訳」を試みます。

かつて豊かな水をたたえたアケロス河は氾濫し
谷間に入ってほとばしり
その騒擾はいいようがなく
その波に家畜の群れとよく実った植物をなぎ倒し
人家はことごとく壊滅し
田畑をみはるかすまでに砂漠と化してしまった。

こうしてニンフたちはその谷を去り
フォーヌの合唱隊もまた鳴りをひそめ
人々はただ手をこまねいて
河が怒るのを眺めているばかりだった。

このありさまを見たヘラクレスは
憐憫の情に駆られ
河の怒りを静めようとして巨大な身体を躍らせて
たくましい両腕に泡立つ波を追い込んで
それが元の河に治まるように奮闘したのだ。

制御された河の波は、怒涛となって呟きながらも
やがては蜿蜒とした元の姿に戻ったが
河は息切れし、歯軋りし、その青く黒ずんだ背をのたうち
その剣呑な尾で荒れた岸にぶつかっていた。

ヘラクレスは再び身を投げ入れて、その腕で河の首根っこ絞めつけた
その抵抗もなんとも思わず
河は懲らしめられ、ヘラクレスは、その上に大木の幹を振りかざして
引っ叩く引っ叩く、
河は瀕死の状態となり砂原の上に打ちのめされてしまった。

そうしてヘラクレスは立ち直り
「この腕前を知らんのか、たわけ!
我はゆりかごに揺られていた頃、2頭のドラゴンを討ち取ったのだ
その時、すでに鍛えたこの我が腕を知らんのか!」

(結構、面白い痛快劇の描写を
中原中也は楽しんで訳しているのが伝わってきます。
お楽しみは、また続きで。)

ひとくちメモ その2

「エルキュルとアケロユス河の戦ひ」の
残りの部分を読み進めます。

エルキュルすなわちヘラクレスの怪力振りを訳しながら
中原中也は自らも楽しんでいる気配が伝わってきます。
これはどこかで見覚えのある
デ・ジャヴの感覚だなと気づいて
思い出されたのは
「平家物語」の合戦のシーンです。

確か
もんどりうって、どうと落つ、などという描写が
この物語には横溢していて
七五調の流麗な調べとともに刻まれていたように記憶しますが
まったく見当違いかもしれません。

河は激しい恥ずかしさにうち震え
くつがえされた栄誉を思えば
胸は悲痛に滾(たぎ)りはじめ
全身をのたうって狂えば
獰猛な眼は炎のように燃え盛り
角は突っ立って風を切り
咆えれば天も震撼するのだった。

ヘラクレスはこれを見て大いに笑い
河をひっ捕らえ、ぶんぶんと振り回し
痙攣しはじめた五体をどうと放り出し
膝で首を押さえつけ
腰に喉を敷き伏せて
うち叩いてはまたうち叩き
力の限りに懲らしめれば
やがて河も苦しみ死んでしまった。

息絶えた怪物に、なんとも勇ましいヘラクレスは
うち跨(またが)って、血で濡れた、額の角を引き抜いて
ついに勝利を完全なものにした。

こうしてフォーヌやドリアードやニンフ姉妹の合唱隊は
減水と富源のために働いた
彼らの勇士ヘラクレスが楽しげに
今は木蔭に休息しているのを
古い勝利の戦を思い出させるかのように勇士に近づいて
軽やかに彼の回りを取り囲んで
花の冠、葉のリースを
その額に被せたのだった。

さて皆のもの、彼の近くに転がっていた
あの河の角を手に取らせ
血塗られたその戦利品を
美味しい果実と香りのよい花々で飾ったのであった。

1869年9月1日
シャルルヴィル公立中学通学生
アルチュル・ランボオ

※フォーヌは半獣神の牧神、ニンフは水の精、ドリアードは森の精。(「角川新全集・第3巻 翻訳」語註より)

この詩の中では――

エルキュルは、その上に、大木の幹を振り翳(かざ)し、
ひつぱたきひつぱたく、

鞺(たう)とばかりに投げ出だし、膝にて頸をば圧へ付け、
腰に咽喉(のど)をば敷き据ゑて、打ち叩き打ち叩き

――というルフランや
この中の、鞺(たう)とばかりに投げ出だし、などの独特の措辞や

扨エルキュルは立直り、《此の腕前を知らんかい、たはけ奴(め)が!
我猶揺籃にありし頃、二頭の竜(ドラゴン)打つて取つたる
かの時既に鍛へたる此の我が腕を知らんかい!……》

――という台詞(セリフ)の部分や
全篇を通じた音数律などに
中原中也がいます。
息づいています。


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