4 ジュギュルタ王

諸世紀を通じ、神は此の者をば、
折々此の世に降し給う……

        バルザック書簡。

     Ⅰ

彼はアラビヤの山多き地方に生れた、彼は健(すこや)かに
軟風(そよかぜ)の云うを聞けば、《これはこれジュギュルタが孫!……》

やがては国のため人民のため、大ジュギュルタ王とはならん此の者が、
いたいけなりし或る日のこと、
来るべき日の大ジュギュルタの幻影は、
その両親のいる前で、此の子の上に顕れて、
その境涯を述べた後、さて次のように語った
《おお我が祖国よ! おお我が労苦に護られし国土よ!……》と
その声は、寸時、風の神に障(さまた)げられて杜切(とぎ)れたが……
《嘗て悪漢の巣窟、不純なりし羅馬は、
そが狭隘の四壁を毀(こぼ)ち、雪崩(なだ)れ出で、兇悪にも、
そが近隣諸国を併合した。
それより漸く諸方に進み、やがては世界を我が有(もの)とした。
国々は、その圧迫を逃(のが)れんものと、
競うて武器を執りはしたが、
空しく流血するばかり。
彼等に優(まさ)りし羅馬の軍は、
盟約不賛の諸国をば、その民(たみ)等をば攻め立てた。

彼はアラビヤの山多き地方に生れた、彼は健(すこや)かに
軟風(そよかぜ)の云うを聞けば、《これはこれジュギュルタが孫!……》

我、久しきより羅馬の民は、気高(けだか)き魂(たま)を持てると信ぜり、
さわれ成人するに及びて、よくよく見るに
そが胸には、大いなる傷、口を開け、
そが四肢には、有毒な物流れたり。
それや黄金の崇拝!……そは彼等武器執る手にも現れいたり!……
穢(けが)れたるかの都こそ、世界に君臨しいたるかと、
よい力試(ちからだめ)し、我こそはそを打倒さんと決心し、世界を統べるその民を、爾来白眼、以て注視を怠らず!……

彼はアラビヤの山多き地方に生れた、彼は健(すこや)かに
軟風(そよかぜ)の云うを聞けば、《これはこれジュギュルタが孫!……》

当時羅馬はジュギュルタが事に、
介入せんとは企ていたり、我は
迫りくるそが縄目(なはめ)をば見逃さざりき。立って羅馬を討たんとは決意せり
かくて我日夜悶々、辛酸の極を甞めたり!
おお我が民よ! 我が戦士! わが聖なる下々(しもじも)の者よ!
羅馬、かの至大の女王、世界の誇り、
かの土(ど)は、やがてぞ我が手に瓦解しゆかん。
おお如何に、我等羅馬のかの傭兵、ニュミイド人(びと)等を嗤いしことぞ!
此の蛮民等はジュギュルタが、あらゆる隙(すき)に乗ぜんとせり
当時世に、彼等に手向うものとてなかりし!……

彼はアラビヤの山多き地方に生れた、彼は健(すこや)かに
軟風(そよかぜ)の云ふを聞けば、《これはこれジュギュルタが孫!……》

我こそは羅馬の国土に乗り込めり、
その都までも。ニュミイドよ! 汝(なれ)が額に
我平手打(ひらてうち)を啖(くら)わせり、我は汝等(なれら)傭兵ばらを物の数とも思わざり。
茲にして彼等久しく忘れいたりし武器を執り、
我亦立って之に向えり。我は捷利を思わざり、
唯に羅馬に拮抗せんことこそ思えり!
河に拠り、巌嶮(いわお)に拠りて、我敵軍に対すれば、
敵勢(ぜい)は、リビイの砂原(すなはら)、或(ある)はまた、丘上の角面堡より攻めんとす。
敵軍の血はわが野山蔽いつつ、
我がなみならぬ頑強に、四分五裂となりやせり……

彼はアラビヤの山多き地方に生れた、彼は健(すこや)かに
軟風(そよかぜ)の云うを聞けば、《これはこれジュギュルタが孫!……》

恐らくは我敵方(かた)の、歩兵隊をも敗りたらむを……
此の時ボキュスが裏切りに遇い……思い返すも徒(あだ)なれど、
されば我、祖国(くに)も王位も棄て去りて、
羅馬に謀反(むほん)をせしという、ことに甘んじていたりけり。

さても今復(また)フランスは、アラビヤの、都督を伐ちて誇れるも……
汝(なんじ)、我が子よ、汝(いまし)もし、此の難関に処しも得ば、
汝(なれ)こそはげにそのかみの、我がため仇を報ずなれ。いざや戦え!
去(い)にし日の、我等が勇気、今は汝(な)が、心に抱き進めかし、
汝(なれ)等が剣《つるぎ》振り翳せ! ジュギュルタをこそ胸に秘め、
居並ぶ敵を押返し! 国の為なり血を流せ!
おお、アラビヤの獅子共も、此の戦いに参ぜかし!
鋭き汝(なれ)等が牙をもて、敵の軍勢裂きもせよ!
栄(さかえ)あれ! 神冥の加護汝(なれ)にあれ!
アラビヤの恥、雪(そそ)げかし!……》

かくて幻影消えゆけば、幼な子は、青竜刀の玩具(おもちゃ)もて、遊び興じていたりけり……

     Ⅱ

ナポレオン! おお! ナポレオン!(1) 此の今様のジュギュルタは、
打負かされて、縛られて、幽閉(おしこ)められて暮したり!
茲にジュギュルタ更(あらた)めて、夢の容姿(かたち)にあらわれて
此の今様のジュギュルタにいとねむごろに云えるよう、
《新らしき神に来れかし! 汝が災害を忘れかし、
佳き年(とし)今やめぐり来て、フランス汝(なれ)を解放せん……
汝(なれ)は見るべし、フランスの治下に栄ゆるアルジェリア!……
汝(なれ)は容るべし、寛大の、このフランスの条約を、
世に並びなき信仰と、正義の司祭フランスの……
愛せよ、汝がジュギュルタを、心の限り愛すべし
さてジュギュルタが命数を、つゆ忘れずてありねかし

 註(1)アムボワーズの城に幽閉されたりしアブデルカデルは ナポレオン
三世の手によりて釈放されたり 時に千八百五十二年

     Ⅲ

これぞこれ、汝(な)に顕れしアラビヤが祖国(くに)の精神(こころ)ぞ!》

千八百六十九年七月二日
シャルルヴィル公立中学通学生
ランボー・ジャン・ニコラス・アルチュール


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ひとくちメモ

「ランボオ詩集《学校時代の詩》」の4番目の作品は
「ジュギュルタ王」です。

ジュギュルタは、近年ではユグルタの表記が一般的で
ヌミディアという古代ローマ時代に北アフリカにあった王国の王。
現在のアルジェリアあたりにあった王国の王ですが
ローマの侵略と戦ったが敗れローマで獄死しました。

ランボーは、
このユグルタ王の物語に
19世紀アルジェリア地方の有力諸侯、
アブドル・アルカーディルの生涯を重ねています。
(「角川新全集第3巻 翻訳」より)

二人とも植民地支配と戦った
民族の英雄ですから
20世紀・21世紀現代史の
「リビアのカダフィ」の面影があって
脱線しますが、興味をひかれます。

さてここでは
中原中也訳の原作を
歴史的表記を現代表記に改変した上に
難漢字を書き換えたり
漢字をひらがなにしたり
文語を口語に変えたり
語句・句読点の追加削除や改行なども加えたりして
「意訳」を試みます。

   Ⅰ

彼はアラビアの山岳地方に生まれた、
彼こそは、すこやかにそよかぜが語るには
「これこそユグルタの孫!……」

やがては国のため人民のため
大ユグルタ王となるこの者が
いたいけな幼年時代のある日のこと
きたるべき日の大ユグルタのイルージョンは
その両親のいる前で、この子の上に現れて
その境涯を述べた後で、次のように語った

「おお我が祖国よ! おお我が労苦に守られた国土よ!……」と
その声は、少しの間、風の神に邪魔されて途切れたものだったが……

「かつて悪漢の巣窟、不純だったローマは
その狭い周囲の外壁を壊し、外へと雪崩出でて
凶悪にも、その近隣諸国を併合した。
それからしばらくするとさらに各地へと進出し
やがては世界を我が物とするようになった。
諸国は、その圧迫を逃れようとして
競って武器をとって戦ったが
空しく血を流すばかり。
彼らにまさるローマ軍は
盟約しない諸国を、その民らを攻撃した。

彼はアラビアの山岳地方に生まれた、
彼こそは、すこやかにそよかぜが語るには
「これこそユグルタの孫!……」

我、随分前からローマの民は、気高き魂をもつものと信じていた
そうであるのに成人して、よくよく見ると
その胸には、大きな傷が口を開け
その身体中には、有毒なものが流れていた。

それは黄金の崇拝だ!……それは彼らが武器をとる手にも現れていた!……
穢れたあの都が、世界に君臨しているのかと
よい力試しに、我こそはこれを打倒しようと決心し
世界を統一するその民を、その時以来、白い眼で見て、じっくり監視してきた!……

彼はアラビアの山岳地方に生まれた、
彼こそは、すこやかにそよかぜが語るには
「これこそユグルタの孫!……」

当時ローマはユグルタに関して
介入しようと企んでいた、
我は迫り来るその縄目を見逃さなかった。
立ってローマを打倒しようと決意した
こうして我れは日夜悶々と苦闘し、辛酸の極みを嘗めたのだ!
おお我が民よ!
我が戦士!
我が家来たちよ!
ローマ、あの絶大な女王、世界の誇り
あの土地は、やがて我が手に瓦解してゆくであろう。
おおどのようにして、我らはローマのあの傭兵、ニュミイド人らを笑ったことか!
この野蛮な民らはユグルタが、あらゆる隙に乗じようとしていたが
当時世界に、彼らにて手むかえるものはなかったのだ!……

彼はアラビアの山岳地方に生まれた、
彼こそは、すこやかにそよかぜが語るには
「これこそユグルタの孫!……」

ここまで
およそ半分です。

ひとくちメモ その2

「ランボオ詩集《学校時代の詩》」の4番目の作品、
「ジュギュルタ王」の後半を読みすすめます。

中原中也訳の原作を
歴史的表記を現代表記に改変した上に
難漢字を書き換えたり
漢字をひらがなにしたり
文語を口語に変えたり
語句・句読点の追加削除や改行なども加えたりして
「意訳」を試みます。

「ジュギュルタ王」は
1869年11月に
ランボーの通学区である「ドゥエ学区公報」に掲載されました。
同学区で同年7月に行われた
ラテン語詩のコンクールで一等賞になった作品。
コンクールは当日朝6時から正午までの6時間にわたって行われたものでした。
ラテン語で抜群の成績を残したランボーが
課題詩でもいかんなく才能を発揮した一つの例です。
(「角川新全集 第3巻 翻訳」より)

彼はアラビアの山岳地方に生まれた、
彼こそは、すこやかにそよかぜが語るには
「これこそユグルタの孫!……」

――と、この王を褒め称えるコーラスみたいなフレーズが
この詩の中に何度も挿入されるのは
ギリシア悲劇を踏襲しているからでしょうか。
日本でいえば、お囃子(はやし)でしょうか。

我こそはローマの国土に乗り込んだ
その都までも。
ヌミディア人よ!
お前らの額に平手打ちを食らわせ
お前ら傭兵どもを物の数とも思わなかった。

ここに彼らはしばらくの間忘れていた武器をとり
我はまた立ってこれを迎え撃った。
我は勝利を思いもしないで
ただただローマに拮抗することだけを思っていた!

河を頼み、岩山を頼んで、我は敵軍に対抗すれば
敵勢は、リビアの砂原、あるいはまた
丘の上の四角い堡塁から攻めようとした。
敵軍の血はわが野山を塗り
我らの並じゃない頑強さに負かされて、ズタズタにされてしまった……

彼はアラビアの山岳地方に生まれた、
彼こそは、すこやかにそよかぜが語るには
「これこそユグルタの孫!……」

おそらくは我、敵方の歩兵隊をも破ったというところで……
この時、ボキュスの裏切りに遭い……
思い返すのも残念なことだけれど
そうして我、祖国も王位も捨て去って
ローマに謀反したという事実を甘受したのであった。

そうして今またフランスは、
アラビアの、都の首長を征伐したことを誇っているが……
汝、我が子よ、汝がもしも、この難関にぶつかることがあれば
汝こそは本当に昔の、我が仇(かたき)を討ってくれ、さあ戦ってくれ!
遠い昔の日の、我が勇気、今は汝が心に抱いて進んでもらいたい
汝らの剣を振りかざせ! ユグルタ王を秘かに胸に抱いて
居並ぶ敵を押し返し!
国のために血を流せ!
おお、アラビアのライオンたちも、この戦いに参じよ!
鋭い汝らの牙で、敵の軍勢を引き裂け!
栄えあれ! 神明のご加護が汝にあるように!
アラビアの恥を雪(すす)いでくれ!……」

こうして大ユグルタのイリュージョンは消えてゆけば
幼いユグルタは、
青竜刀のおもちゃで遊んでいるばかりだった。

    Ⅱ

ナポレオン! おお! ナポレオン!
この現代のユグルタは
打ち負かされて、縛られて、幽閉されて暮らしていた!

※ここで登場するナポレオンとは、
アムボワーズの城(15世紀、シャルル8世がロワール河畔に築いた。)に
幽閉されていたアブデルカデルすなわちアブド・アルカーディルを
釈放したナポレオン3世のこと。

ここでユグルタがあらためて、夢の中に現れて
この現代のユグルタすなわちアブデルカデルに
とても丁寧に語ったのは
「新しい神よ来たれ! 汝が災害を忘れよ
佳い年が今ややって来て、フランスは汝を解放する……
汝は必ず見る、フランスの統治のもとで栄えるアルジェリア!……
汝は受け入れるべし、寛大な、フランスの条約を
世界に並ぶことがない信仰と正義の司祭フランスの……
愛せよ、汝のユグルタを、心の限り愛さねばならない
そうしてユグルタが命を、ゆめにも忘れないでいてもらいたい。

註(1)アムボワーズの城に幽閉されたことのあるアブデルカデルは、ナポレオン3世の手で釈放されたのは、1852年のこと。

    Ⅲ

これが、汝に現れたアラビアの祖国の精神である」

1869年7月2日
シャルルヴィル公立中学通学生
ランボオ・ジャン・ニコラス・アルチュル


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