5 Tempus erat

その頃イエスはナザレに棲んでいた。
成長に従って徳も亦漸く成長した。
或る朝、村の家々の、屋根が薔薇色になり初(そ)める頃、
父ジョゼフが目覚める迄に、父の仕事を仕上げやろうと思い立ち、
まだ誰も、起きる者とてなかったが、彼は寝床を抜け出した。
早くも彼は仕事に向い、その面容(おもざし)もほがらかに、
大きな鋸を押したり引いたり、
その幼い手で、多くの板を挽いたのだった。
遐(とお)く、高い山の上に、やがて太陽は現れて、
その眩(まぶ)しい光は、貧相な窓に射し込んでいた。
牛飼達は牛を牽(ひ)き、牧場の方に歩みながら、
その幼い働き手を、その朝の仕事の物音を、てんでに褒めそやしていた。
《あの子はなんだろう、と彼等は云った。
綺麗にも綺麗だが、由々しい顔をしているよ。力は腕から迸っている。
若いのに、杉の木を、上手にこなしているところなぞ、まるでもう一人前だ。
昔イラムがソロモンの前で、
大きな杉やお寺の梁(はり)を、
上手に挽いたという時も、此の子程熱心はなかっただろう。
それに此の子のからだときたら、葦よりまったくよくまがる。
鉞(まさかり)使う手許(もと)ときたら、狂いっこなし。》
此の時イエスの母親は、鋸切の音に目を覚まし、
起き出でて、静かにイエスの傍に来て、黙って、
大きな板を扱い兼ねた様子をば、さも不安げに目に留めた。
唇をキット結んで、その眼眸(まなざし)で庇(かば)うように、暫くその子を眺めていたが。
やがて何かをその唇は呟いた。
涙の裡に笑いを浮かべ……
するとその時鋸が折れ、子供の指は怪我をした。
彼女は自分のま白い着物で、真ッ紅な血をば拭きながら、
軽い叫びを上げた、とみるや、
彼は自分の指を引っ込め、着物の下に匿しながら、
強いて笑顔をつくろって、一言(ひとこと)母に何かを云った。
母は子供にすり寄って、その指を揉んでやりながら、
ひどく溜息つきながら、その柔い手に接唇(くちづ)けた。
顔は涙に濡れていた。
イエスはさして、驚きもせず、《どうして、母さん泣くのでしょう!
ただ鋸の歯が、一寸擦(かす)っただけですよ!
泣く程のことはありません!》
彼は再び仕事を始め、母は黙って
蒼ざめて、俯き顔(かお)に案じていたが、
再びその子に眼を遣って、
《神様、聖なる御心(みこころ)の、成就致されますように!》

千八百七十年
ア・ランボー


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ひとくちメモ

「ランボオ詩集《学校時代の詩》」の5番目の作品は
「Tempus erat」です。
この詩集はこれで全てとなります。

「Tempus erat」は
ラテン語の原詩のはじまりの語を
そのままタイトルにしたもので
「Tempus」は「時」の意味
「erat」は「存在する」「―である」などの意味の過去形。
「遠い昔――」というような意訳が可能でしょうか。

「ランボオ詩集《学校時代の詩》」の全ての詩が
「ドゥエ学区公報」に掲載されたものを集めたものですが
この「Tempus erat」も
1870年4月15日号に発表されたものです。

シャルルビル高等中学校で
ランボーはラテン語の授業を半年間受けますが
その水準はかなり高度であったことが知られています。
ランボーはその中でもずば抜けて優秀で
最終学年の修辞学級でトップの成績を残し
学校区で行われるラテン語韻文詩のコンクールでも
ドゥエ学区で何度か一等賞を獲得する実力を誇っていました。

このドゥエ学区の公報誌に掲載された詩がまとめられて
「ランボオ詩集《学校時代の詩》」として
公刊されたのは1932年でした。
発行元はメルキュール・ド・フランス社です。

「Tempus erat」は
ナザレのイエスと両親との交流を描いた
作者不詳のフランス語詩ですが
ランボーはこの原作に手を加えることなく
そのままの形でラテン語に訳しました。
(「新編中原中也全集 第3巻・翻訳」参照)

中原中也は
原典の出自や創作経緯などを
詳しくは知り得なかったはずですが
この訳出でも
余計な装飾を排して実直に
少年詩人ランボーの純真さを
損ねないように努めていることが伝わってきます。

その頃イエスはナザレに住んでいた。
成長するにつれて徳もまたゆっくり成長した。

ある朝、村の家々の屋根がバラ色に染まりはじめる頃
父ヨセフが目覚めるまでに、
父の仕事を仕上げてあげようと思い立ち
まだ誰も起きている者もいなかったが
彼は寝床から抜け出した。

すぐさま仕事に向かい
面差しも朗らかに
大きな鋸(のこぎり)を押したり引いたり
その幼い手で、多くの板に仕上げたのだった。

遠くの高い山の上に、やがて太陽は現れて
その眩しい光は、貧しそうな家の窓に射し込んでいた。

牛飼いたちは牛を引き、牧場の方に歩みながら
その幼い仕事の手を
その朝の仕事の物音を
思い思いに愛しんでいるようだった。

「あの子は何だろう、と彼らは言った。
奇麗なのは奇麗だが、深刻そうな顔しているよ。
力が腕から溢れるばかりだ。
若いのに杉の木をうまく操っているところなど、まるでもう一人前だ。

むかし、イラムがソロモンの前で
大きな杉やお寺の梁を
上手に仕立てたことがあったけど
この子ほど熱がこもってはいなかっただろう。
それにこの子の身体ときたら
葦よりもしなやかに曲がれる。
まさかりを使う手元ときたら、寸分も狂わない。」

この時イエスの母親は
のこぎりの音に目を覚まし
起き出してきて静かにイエスのそばに来て、黙って、
大きな板を扱いかねているイエスを
とても不安そうな目で見た。
唇をキッと結んで、そのまなざしで庇うかのように
しばらくその子を眺めていたが。

やがて何かをその唇は呟いた。
涙の中に笑みを浮べ……
するとその時のこぎりが折れ、子どもの指は怪我を負った。
彼女は自分の真っ白な衣服で
真っ赤な血を拭きながら
軽い叫び声をあげた、と思うと
子どもは自分の指を引っ込め、
衣服の下に隠しながら
健気に笑顔をつくって、一言母親に言った。

母親は子どもにすり寄って
その指を揉んであげながら
大きな溜め息をついて、その柔らかな手に口づけした。
顔は涙で濡れていた。

イエスは大して驚きもしないで
「どうして、母さん、泣くのでしょう!
ただのこぎりの歯が、ちょっと掠っただけですよ!
泣くことのほどではありません!」

彼はふたたび仕事を始め
母は黙って、
蒼ざめて、うつむき顔で心配していたが
ふたたびその子に目をやって
「神さま、聖なる御心が、成就されますように!」

1870年
ア・ランボオ

驚くべき
分かりやすさです!
難解な語句はほとんどありません。

ランボーに課題作として与えられたフランス語原詩が
分かりやすく平明であり
ランボーはこれを忠実にラテン語詩に訳したからでもありましょうが
中原中也の日本語訳も
さらにさらに
分かりやすさを増し
平明簡易です。

ひとくちメモ その2

「Tempus erat」と金子光晴の訳

「ランボオ詩集《学校時代の詩》」5篇を読み終えました。
ここで少しエア抜きの意味もこめて
同時代訳を
金子光晴の例で見ておきましょう。

金子光晴は詩人で
1895年(明治28年)生まれですから
1907年(明治40年)生まれの中原中也より
10歳以上も年上で
没年も1975年(昭和50年)ですから
15年戦争を生き抜き
戦後史30年間をも経験した人です。
明治、大正、昭和を生きた詩人で
大正のはじめ頃から西欧の詩に傾倒し
1925年には訳詩集『近代仏蘭西詩集』(紅玉堂書店)を刊行するなど、
早くもランボーの翻訳に取り組んでいます。

中原中也が「Tempus erat」とした詩を
金子光晴は「ナザレトのイエズス」と題しました。

 *

 ナザレトのイエズス
金子光晴訳

そのころイエズスはナザレトに住みゐたりき。
幼きかれは、年齢を増すとともに、徳をも増してゆきたりき。
ある朝、村の家々の、屋根が薔薇色に仄見(ほのみ)えてくる時刻、
誰も彼もいまだ睡魔に悩まされゐたるに、かれは寝床を離れて行きぬ。
父のヨセフが目ざむる以前に、仕事を終らせおくためなりき。
はや既に、やり掛けの仕事に身をかたむけ、その面差しも晴れやかに、
大いなる鋸(のこぎり)を押しあるひは引き、
その幼き腕もて、多くの板を挽き畢(をは)んぬ。
遐(とほ)く、高き山の上に、やがて、輝かしき太陽ぞ現(あ)れいで、
その銀色の光は、貧相なる窓をとほして射し入りぬ。
つづきて、牛飼ひどち、牛の群れを牧場の方へと牽き連れ行けり。
牛飼ひどち、通りすがりに、口を揃へて、この幼き職人を、
その朝の仕事の物音を、賞めそやしけるなり。
「何者なるか、かの子供は?」と、かれら云ふなる。
「かの子供の顔は、
謹厳さ混へし美しさを現はしゐるぞ。その腕からは、力ぞ迸(ほとばし)り出づるぞ。
この若き職人は、手だれの職人にゆめ劣るなく、見事に杉材を仕上げゐるぞ。
むかし、ヒラムが、ソロモン王の眼前にて、
練達にして堅剛なる両手をふるひ、巨大なる杉や神殿の梁材を挽きしときにも、
斯程(かほど)には熱心に仕事をせしにあらざりけるぞ。
しかのみならず、かの子供のからだは、弱々しき葦よりもなほしなやかに曲がるなる
ぞ。その鉞(まさかり)は、真直ぐにのばせしならば、肩にまでも届くならんぞ」

そのとき、かれの母親は、鋸の歯の軋みを聞きて、
床ゆ起き出で、静かにイエズスの傍に来て、うち黙(もだ)しながら、
大いなる板を扱ひ兼ねて苦しみつつ仕上げに精出しをれる
子供の姿を、さも不安げに、眺めをりたり。……唇きっと噛みしめて、
彼女は、子供に眼(ま)を凝(こ)らし、その静かなる眼差し以(も)て抱擁しゐたりしが、
やがて、彼女の口もとには、声には出でざる言葉ぞ揺れたれ。
微笑み涙の裡(うち)に輝きいづれ。……しかるに、突然、鋸(のこぎり)が折れ、
不意を突かれし子供の指を傷つけたり。
イエズスの服は、流れいづる赤き血に染み、
かすかなる叫び声、口ゆ洩れたり。とみるや、かれは、
母のゐることに気づき、赤きその指を服の下に匿しながら、
強ひて笑顔をつくろひて、「お早(は)やう、お母さま」と言ひかけぬ。
・・・・・・・・・・・・・・・・・
されど、母親は、息子の指をなでさすり、そのうら若き手に接唇(くちづけ)したりき。
烈しくぞ喘(あえ)ぎながらに、大粒の涙もて顔を濡らして。
されど、子供は、さして心動かすけしきもなくて、
「何故に泣くや、お母さま?
お母さまは何も知らざるを。……ただ、切れ味よき鋸の歯の、わが指に触れしのみなるを?
お母さまの泣くべき時、いまだなほ来れるにあらぬを!」
茲において、イエズスは、やりかけの仕事を再開せりき。母親は、うち黙しながら、
色蒼ざめて、その白き顔を俯向(うつむ)きがちに足許に向け、
深き思ひに沈みゐたりしが、ふたたび、その子に悲しき眼を遣り、
「偉大なる神よ、聖なるみこころの成就せられむことを!」

     (1870年)
A・ランボオ

(「ランボー全集」より。1984年、雪華社)
※ルビは( )の中に入れました。編者。


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