感 動

私はゆこう、夏の青き宵は
麦穂臑(すね)刺す小径の上に、小草(おぐさ)を踏みに
夢想家・私は私の足に、爽々(すがすが)しさのつたうを覚え、
吹く風に思うさま、私の頭をなぶらすだろう!

私は語りも、考えもしまい、だが
果てなき愛は心の裡(うち)に、浮びも来よう
私は往こう、遠く遠くボヘミヤンのよう
天地の間を、女と伴れだつように幸福に。

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ひとくちメモ

「感動」Sensationは
中原中也訳「ランボオ詩集」の冒頭詩篇です。

「ランボー詩集」は数多くの翻訳があり
それぞれの翻訳の原典によって
冒頭に置かれている詩篇は異なります。

ランボーは
「ランボー詩集」を残したわけではなく
後世の研究者らがテキストを考証・校訂してまとめたものですから
それぞれの考証・校訂に異同が生じるのは
止むを得ないことなのです。

結果、長い間にはいくつかの
「ランボー詩集」が
いくつかの出版社によって発行され
それらが世界各国で翻訳されれば
さまざまな「ランボー詩集」が生まれて当然です。

中原中也が使った第2次ペリション版(1924年発行メルキュル版)では
冒頭にある詩篇は
「感動」です。

私は行こう、夏の青き宵は
麦穂臑(すね)刺す小径の上に、小草(おぐさ)を踏みに
夢想家・私は私の足に、爽々(すがすが)しさのつたうを覚え、
吹く風に思うさま、私の頭をなぶらすだろう!

私は語りも、考えもしまい、だが
果てなき愛は心の裡(うち)に、浮びも来よう
私は往こう、遠く遠くボヘミヤンのよう
天地の間を、女と伴れだつように幸福に。

現代表記にしてみると
このようになりますが
常用漢字を使用し
「てにをは」を整え
より現代口語に近づけると――

私は行こう、夏の青い宵は
麦穂が脛を刺す小道の上に、小さな草を踏みに
夢想家の私は、私の足に、すがすがしさが伝わるのを覚え
吹く風が思いのままに私の頭をなぶらせるだろう!

私は語ることも、考えることもするまい、だが
果てのない愛は心の中に、浮んでも来るだろう
私は行こう、遠く遠くボヘミヤンのように
天地の間を、女と連れ立つように幸福に。

この詩の作者ランボーは
夏の夜の草原を行く自分をイメージし
麦の穂が脛を刺す野の道を行く爽快感は
やがて風の吹くにまかせて
頭の中をすっからかんにしてしまう陶酔状態を思い描くのです。

語ることも、考えることもしないが
愛だけは心のうちに浮かんでくるだろう
私は行くんだ、遠くへボヘミヤンのように自在に
天と地の間を、女を連れて歩き回っている
そんな幸福に向かって。

青春の希望は
まだランボーの中にあります
世界は未知で
麦の穂先がチクリチクリと脛をさすであろう小道が
幾重にも開けているに違いないけれど
ぼくはその道を行き、草々を踏み分けて進む
夢想家の足取りで
なにも考えずに歩こう
遠く遠くへボヘミアンのように
女を連れて歩き回ろう……

歩行者ランボーの出発です。

中原中也が
ランボーの歩行にシンパシーを感じなかったわけがありません。

語勢、語義、語呂……と
逐語訳でありながら
中原中也が重要視した翻訳の姿勢が
手に取るように見える題材といえます。

「爽々しさ」を「すがすがしさ」と読ませたり
「夢想家」「ボヘミアン」と思い切った語彙を使ったり
「遠く遠く」という繰り返しなど
(ほかにも色々な試みが行われていますが)
「中原中也のランボー」がくっきりしています。

ひとくちメモ その2

「感動」Sensationには
同時代訳がいくつか存在します。
それを少し読んで
中原中也訳との違いを見てみます。

いま手元にある
永井荷風の「珊瑚集」(新潮文庫、昭和28年)には
「そぞろあるき」というタイトルで
ランボー作品が一つだけ訳出されていますが
これが「Sensation」の荷風訳です。
(「珊瑚集」の初版発行は大正2年)。

「Sensation=センサシオン」は
中原中也の場合「感動」
荷風の場合「そぞろあるき」となり
ほかにも
金子光晴は「Sensation」をそのままにしますし
同時代ではなく最近のものでは
粟津則雄、宇佐美斉は「感覚」と訳します。

永井荷風の「珊瑚集」は
サブタイトルに「仏蘭西近代抒情詩選」とあるように
フランス詩の翻訳アンソロジーです。
シャルル・ボオドレエル(ボードレール)
ポオル・ヴェルレエン(ベルレーヌ)
アンリイ・ド・レニエエ(レニエ)らに混じって
アルチュウル・ランボオの名があり
「そぞろあるき」だけが収載されています。

これを読んでみますと――

 ◇

 そぞろあるき

蒼(あを)き夏の夜や
麦の香(か)に酔(ゑ)ひ野草をふみて
小みちを行(ゆ)かば
心はゆめみ、我(わが)足さはやかに
わがあらはなる額(ひたひ)、
吹く風に浴(ゆあ)みすべし。
われ語らず、われ思はず、
われただ限りなき愛
魂(たましひ)の底に湧出(わきいづ)るを覚ゆべし。
宿(やど)なき人の如(ごと)く
いよ遠くわれは歩まん。
恋人と行(ゆ)く如く心うれしく
「自然」と共にわれは歩まん。

――というふうに訳されています。

古書店で手に入れた
金子光晴の訳をみますと――

 ◇

「三、Sensationサンサシオン」

夏の爽(さわ)やかな夕、ほそ草をふみしだき、
ちくちくと麦穂の先で手をつつかれ、小路をゆこう。
夢みがちに踏む足の、一あしごとの新鮮さ。
帽子はなし。ふく風に髪をなぶらせて。

 話もしない。ものも考えない。だが、
僕のこのこころの底から、汲めどもつきないものが湧きあがる。
さあ。ゆこう。どこまでも。ボヘミアンのように。
自然とつれ立って、――恋人づれのように胸をはずませ……
(「ランボー全集 全一巻」、雪華社、1984)
※作品タイトルの前に通し番号をつけたのは、金子光晴自身か、編集者か、不明。

――とあります。

金子光晴の訳は
「近代仏蘭西詩集」(紅玉堂、大正14年)に
「サンサシオン」として初出しましたが
両者に大きな異同はないものと推測されます(未確認)。

中原中也の訳出は
昭和9年9月から10年3月の間に行われた(推定)ものとされていますが
永井荷風、金子光晴のほかに
同時代の訳として
長田秀雄「感覚」(明治41年)
藤林みさを「感覚」(大正12年)
三富朽葉「SENSATION」(大正15年)
大木篤夫「感覚」(昭和3年)
――を「新全集」はあげています。

(大木篤夫がランボーを訳していたなんて!)

中原中也訳は
歴史的仮名遣いで表記、
文語混じりの口語を基調にしているのは
創作詩と変わりませんが
ランボーが16歳で作ったこの詩を
「われ」でも「僕」でもなく
「私」としたところに
ランボーの「実直さ」を失うまいとした
訳者の眼差しが感じられるようです。

ひとくちメモ その3

堀口大学の「感覚」

三富朽葉(みとみ・きゅうよう)とか
長田秀雄だとか
大木篤夫(別名で大木惇夫)だとか
歴史の彼方に埋もれ
少なくとも一般人の目からは遠い存在になってしまっているのですが
ネットでWikipediaに書かれるからまだよいにしても
藤林みさをは検索にひっかかる情報も微量です。

とはいうものの
明治末から大正・昭和にかけての
ランボーの翻訳という仕事に
永井荷風や金子光晴とともに
そして中原中也とともに
これらの文学者、研究者、翻訳家、詩人らが動き、
活況を呈していたことに驚きを覚えないわけにはいきません。

「ランボーという事件」の
裾野(すその)の広がりを思えば
ワクワクしてくるものがありますね。

「Sensation」のすべての翻訳を読んでみたいものですが
容易にそうはいかないことがわかると
同時代の翻訳で
自然に目がいくのは
上田敏は大正5年に亡くなりますし
鈴木信太郎訳は見当たらず
小林秀雄は「Sensation」を訳していないようなので
行き当たるのが堀口大学訳です。

堀口訳は
新潮文庫「ランボー詩集」(昭和26年初版、平成23年88刷)があり
今でこそ最もポピュラーといえるほどですが
ランボーを訳したのは
昭和9年の「酔ひどれ舟」を除いて
戦後になってからでした――。

ランボオの詩は、どういう理由か、在来、翻訳家としての私のにがてであつた。この少
年詩人のダイヤモンドのやうな作品には、どうしても、歯が立たなかつたのである。
(略)それが先年、戦争に追はれ、東海の温暖郷から、深雪の越の山里へ移り住んだ
頃から、ぽつぽつとランボオの訳が成り、今日まで3年ほどの間に30余篇を得た。
(略)私が54歳から57歳の頃の仕事である。

――と、昭和24年発行の「ランボオ詩集」(新潮社)のあとがきで述べています。

この昭和24年版詩集が
昭和26年には文庫になり
88刷を数える増刷や
時には改版を経て
現代表記化されて今の形になりました。

ここでは
あえて昭和26年版「ランボオ詩集」収載の
訳出を見ておきますのは
第一に
戦後にはじめられた翻訳でありながら
中原中也の同時代訳として扱ってもおかしくはない
歴史的表記が読めるからです。
タイトルは「感覚」で
長田秀雄、藤林みさを、大木篤夫と同じです。

 ◇
感覚
堀口大学訳

夏の夕ぐれ青き頃、行くが楽しさ小径ぞへ、
穂麦に刺され、草を踏み
夢心地、あなうら爽(さや)に
吹く風に髪なぶらせて!

もの言はね、もの思はね、
愛のみの心に湧きて、
さすらひの子のごと遠くわれ行かめ
天地(あめつち)の果(はてし)かけ――女なぞ伴へるごと満ち足りて。
Sensation
※原作の旧漢字は新漢字に改めてあります。編者。


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