悲しい歌

こんな悪達者(わるだっしゃ)な人にあっては
僕はどんな巻添(まきぞ)えを食うかも知れない
僕には智恵が足りないので
どんなことになるかも知れない

悪気がちっともないにしても
悪い結果を起したら全くたまらない
悪気がちっともないのに
悪い結果が起りそうで心配だ

なんのことはない夢みる男にとって
悪達者な人は罠(わな)に過ぎない
格別鎌を掛けられるのではないのであっても
鎌を掛けられたことになるのだからかなわない

それを思えば恐ろしい気がする
もう何も出来ない気がする
それかといって穴に這入(はい)ってもいられず
僕はただだんだんぼんやりして来る

(一九三四・一一・二六)

ああ、神様お助け下さい!
これははやどうしようもございません。
貴方(あなた)のお助けが来ない限りは、
これは、どうしようもございません。

このどうしようもないことの理由を
一度は詳しく分解して人に示そうとも考えました
その分解から法則を抽(ひ)き出し纏(まと)め、
人々に教えようとも考えました

又はわたしの遭遇する一々の事象を極めて
明細に描出しようとも考えました
しかし現実は果しもなく豊富で、
それもやがて断念しなければならなくなりました。

それから私はもう手の施しようもなく、
ただもう事象に引摺(ひきず)られて生きているのでございますが、
それとて其処(そこ)に落付いているのでもなく、
搗(か)てて加えて馬鹿さの方はだんだん進んで参るのでございます

かくて今日はもう、茲(ここ)に手をついて、
私はもう貴方のお慈悲を待つのでございます
そして手をつくということが
どのようなことだかを今日初めて知るようなわけでございます。

神様、今こそ私は貴方の御前に額(ぬか)ずくことが出来ます。
この強情な私奴(め)が、散々の果てに、
またその果ての遅疑・痴呆の果てに、
貴方の御前に額ずくことが出来るのでございます。

扨(さて)斯様(かよう)に御前に額ずいておりますと、
どうやら私の愚かさも、懦弱(だじゃく)の故(ゆえ)に生ずる悪も分ってくるような気も致します、
然(しか)しそれも心許(こころもと)なく、
私は猶(なお)如何様(いかよう)にしたらよいものか分りません。

私はもう泣きもしませぬ
いいえ、泣けもしないのでございます
茲にこうしてストイック風に居(お)りますことも
さして意趣あってのことではございません

せめてこのように足痛むのを堪(こら)えて坐(すわ)って、
呆(ほう)けた心を引き立てているようなものでございます。

妻と子をいとおしく感じます
そしてそれはそれだけで、どうすることも出来ないし
どうなることでもないと知って、
どうしようともはや思いも致しません

而(しか)もそれだけではどうにも仕方がないと思っております……

僕は人間が笑うということは、
人間が憎悪を貯(た)めているからだと知った。
人間が口を開(あ)くと、
蝦茶色(えびちゃいろ)の憎悪がわあッと跳び出して来る。

みんな貯まっている憎悪のために、
色々な喜劇を演ずるのだ。
ただその喜劇を喜劇と感ずる人と、
極(ご)く当然の事と感ずる馬鹿者との差違があるだけだ。

私は見た。彼は笑い、
彼は笑ったことを悲しみ、
その悲しんだことをまた大したことでもないと思い、
彼はただギョッとしていた。

私は彼を賢者だと思う
(そしたら私は泣き出したくなった)

私は彼に、何も云うことはなかった
而も黙って何時まで会っていることは危険だと感じた。

私は一散に帰って来た。

私はどうしようもないのです。

ああ、どうしようもないのでございます。

(一九三四・一一・二六)

(注)原文には、「色々な」に傍点がつけられています。


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ひとくちメモ

「悲しい歌」は、
はじめ
「悪達者な人にかゝりて」というタイトルでした。
1934年11月26日の制作で
まもなく
山口に帰省するのですが
東京でやらねばならない仕事が
山積していましたので
帰りたくても帰れません。

どんなに忙しかったか

同年11月15日付け、安原喜弘宛書簡で、
「此の間から二度ばかり(一度は朗読会、一度は出版記念会)に出ましたが、一生懸命飲まないやうにしてゐながらとうとうは一番沢山飲んでしまひました。何しろ来年二月迄毎日二十行づつランボウを訳さねばならぬのですからたまりません 完全に事務です 尤も詩も童話も書いています。」(「新編中原中也全集・第二巻・詩Ⅱ解題篇」より)

と記しているのを読めば
察しがつくというものです。

ここに書かれている朗読会こそ
麻布・龍土軒で行われた
「歴程」主催の詩の朗読会のことで
中原中也が
「サーカス」を自ら朗読したことが
よく知られています。

出版記念会とは
新宿・白十字で行われた
前奏社主催の
「一九三四年詩集」出版記念会のこと

「一九三四年詩集」は
この年、1934年に発表された
詩作品のアンソロジーで
中也の作品は
「憔悴」が収録されました。

この日のことを
中也は、11月13日の日記に
「前奏社一九三四年刊詩集出版記念会に出る。こんな会に出るものではなし」(前掲書より)
と記しました。

ランボウは、
建設社の企画で進行していた
「ランボウ全集」全3巻の
第1巻「詩」の翻訳のことで
第2巻「散文」を小林秀雄、
第3巻「書簡」を三好達治
という分担で進んでいました。

この翻訳に集中するために
山口に帰省し
年を越しての作業に専念することになりますが
1935年3月から
毎月1巻ずつ刊行の予定だったこの計画は
出版自体が頓挫し
実現されませんでした。

1934年11月28日付け、前川佐美雄宛書簡には
「小生ランボウの翻訳にて毎日六時間はつぶれ、へとへとになつてゐます」(前掲書より)
と記しています。

以上のほかに
「山羊の歌」の刊行のために
時間を費やしました。
装丁を急遽、
高村光太郎に依頼することになり
11月15日から28日の間には
文圃堂書店社主・野々上慶一と直談判し
出版交渉を成立させました。

刷り上った詩集を
予約者へと発送し、
寄贈本への署名を終えて
山口へ向ったのは
12月10日の夜でした。

四谷・花園アパートに居住中のことです。
多くの文学者、芸術家の
出入りがあったことが推察されますし

「歴程」の主宰者、草野心平を通じて
檀一雄を知り
檀を通じて、
太宰治を知ったのもこの頃です。

一つひとつの仕事が達成されてゆく、
という歓びや充実感もあったのでしょうが
ひたすらめまぐるしく
遮二無二、動き回っていたというのが
実際だったかもしれません。

机に向かい
詩作し
翻訳もしたのです
おそらくこれは
深夜の作業であったでしょう。

生まれたばかりの長男・文也を
まだ見ていません。

悪達者はワルダッシャと読むのでしょうか。
世間知にたけた
世間を渡っていく技術を身につけた
悪賢い=ワルガシコイ者のことですが
「悪」といっても
悪知恵ワルジエがよく働く程度の悪で……。

真底には悪気がない悪で
悪意があるのではなく
生きていくために身に着けた
必要悪みたいな悪なので
こんな悪に巻き込まれて
妙な結果になったらたまらない
こんな悪気のない悪で
変な結果になるのは困りものだ

僕みたいに
なんのことはない夢みる男にとって
悪達者な人というのは
単なる罠みたいなもので
鎌をかけられて攻撃されるのではないが
鎌をかけられたと同じになるのだからかなわない

と思うと怖い
何もできない気がしてくる
しかし、穴に入ってもいられないし
逃げられない
気が遠くなりそうになって
ぼんやりと
呆然としてくる

こちらが注意していないと
仕掛けられた罠に
落ち込んでしまう

それは
むき出しの悪意をもって
鎌を振りかざして
こちらを襲ってくるような悪ではないから
怖い
そんな「悪」に気が付くと
逃げるわけにも行かず
余計に怖ろしくなってくる

あゝ、神様お助け下さい!
これではどうにもなりません
あなたのお力を借りなければ
どうしようにもなりません

このどうしようもないことの理由を
一度はことこまかに分解して
人に分かってもらおうとして
示そうと考えました
その分解から法則を引っ張り出してまとめ
人に教えてやろうともしました

またわたしが遭遇する一つひとつの事実を突き詰めて
詳細にわたって描出しようとも考えました
しかし事実というのは果てしもないほど豊富で複雑で
それもやがて断念せざるをえませんでした

それから私はもう手の施しようもなくなり
ただもう事実に引きずられて生きているのでございます
それでもそこに落ち着いちゃっているわけでもなく
それに加えてバカさのほうはだんだん進んでくるので参ってしまうのです

こうして今日はもう、ここに手をついて
私はもうあなたのお慈悲を待つのでございます
そして手をつくということが
どのようなことだかを今日はじめて知ることになるわけでございます

神様、今こそ私はあなたの御前に額ずくことが自然にできるのです
この強情な私めが、散々の果てに
またその果てに疑い深くグズグズして
まるで痴呆のようになってその果てに
あなたの御前に額ずくことが出来るのでございます

さてこのように、御前に額ずいておりますと
どうやら私の愚かさも、
懦弱(だじゃく)のせいで生じてくる悪ということも分かってくる気がします
しかし、それも心もとないもの
私はなおどのようにしてよいのか分からなくなります

私はもう泣きません
いいえ、泣けないのでございます
ここにこうして禁欲的な風にしておりますことも
たいして考え抜いたことでもございません

せめてこのようにして足が痛むのをこらえて座って
バカになった心を引き立てているようなものなのでございます

妻と子のことを愛おしく感じます
それはそれだけのことで、どうすることもできないし
どうなることでもないと知っては
どうしようとも思いません
しかもそれだけではどうにも仕方がないことだとも思っております……

僕は人間が笑うということは
人間が憎悪を貯めこんでいるからだと知った
人間が口をあけると
えび茶色をした憎悪が
ワーッと飛び出してくる

みんな貯まっている憎悪のために
いろいろと喜劇を演じるのだ
ただその喜劇を喜劇と感じる人と
喜劇とも感じないで
当然のことと感じる馬鹿者との違いがあるだけだ

私は見た。
彼は笑い、
彼は笑ったことを悲しみ
その悲しんだことをまた大したことでもないと思い
彼はただギョッとしていた

私は彼を賢者だと思う
(そしたら私は泣き出したくなった)

私は彼に何も言うことはなかった
しかも黙っていつまでも会っているということは危険だと感じた

私は一目散に帰ってきた

私はどうしようもないのです

ああ、どうしようもないのでございます


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