(海は、お天気の日には)

海は、お天気の日には、
綺麗だ。
海は、お天気の日には、
金や銀だ。

それなのに、雨の降る日は、
海は、恐い。
海は、雨の降る日は、
呑(の)まれるように、恐い。

ああ私の心にも雨の日と、お天気の日と、
その両方があるのです

その交代のはげしさに、
心は休まる暇もなく


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ひとくちメモ

(海は、お天気の日には)は
(お天気の日の海の沖では)と
「野卑時代」と
続けて書かれたであろうと推定される
3作品のはじめのものです。

(お天気の日の海の沖では)と
「野卑時代」は
1934年11月29日の日付をもち
この3作品は
原稿用紙
筆記具
インク
筆跡が同じであることから
(海は、お天気の日には)も
同じ日の制作か
それ以前、11月29日以前の作と
考えられているのです。

(海は、お天気の日には)の冒頭

海は、お天気の日には
綺麗だ。
海は、お天気の日には、
金や銀だ。

――を読んで
ただちに思い出すのが
「在りし日の歌」中の
「思ひ出」の
お天気の日の、海の沖は
なんと、あんなに綺麗なんだ!
お天気の日の、海の沖は、
まるで、金や、銀ではないか

という、はじまりです。

「思ひ出」は
昭和11年(1936年)の「文学界」8月号初出の作品で
(海は、お天気の日には)と
(お天気の日の海の沖では)とを
下敷きにして新作としたことが
推定されている詩です。

詩人の心の中には
金や銀の日もあれば
飲み込まれるような
雨の日もありました。

その移り変わりの激しさに
心は休まる暇もありません。
この詩を書いた当時
詩人は
快晴が一転、強雨に変ってもおかしくはない
タフな日々と格闘していました。
心の中は
時々刻々が
晴れのち雨、雨のち晴れ
という状態であったことが想像されます。

実際に強雨に見舞われた日も
あったのでしょうか。
めまぐるしく変る天気に
心の休まる暇とてなく
金銀の日が
暗転し
飲み込まれるような雨になりやしないか
恐怖におびえなければならない時を
きっと過ごしたこともあったのでしょう。


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