いたずら好きな女

ワニスと果物の匂いのする、
褐色の食堂の中に、思う存分
名も知れぬベルギー料理を皿に盛り、
私はひどく大きい椅子に埋まっていた。
 
食べながら、大時計(オルロージュ)の音を聞き、好い気持でジッとしていた。
サッとばかりに料理場の扉(と)が開くと、
女中が出て来た、何事だろう、
とにかく下手な襟掛をして、ベルギー・レースを冠っている。
 
そして小さな顫える指で、
桃の肌へのその頬を絶えずさわって、
子供のようなその口はとンがらせている、
 
彼女は幾つも私の近くに、皿を並べて私に媚びる。
それからこんなに、ーー接唇(くちづけ)してくれと云わんばかりにーー
小さな声で、『ねえ、あたし頬(ほっぺた)に風邪引いちゃってよ……』
 
シャルルロワにて、一八七〇、十月。

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ひとくちメモ その1

「いたずら好きな女」Le Malineの末尾には
「シャルルロアにて、1870、10月。」とあり、
「キャバレ・ヹールにて」
「花々しきサアルブルックの勝利」
――と「シャルルロア詩篇」と呼んで差し支えない作品が3作続きます。

そして、この作品は、
中原中也訳「ランボオ詩集」の「追加篇」の末尾に配置された
最後のランボー作品です。

――と、当たり前のようなことを
なぜ、言うかというと……。

中原中也が「ランボオ詩集」を翻訳発行するとき、
小林秀雄から渡されていた「失われた毒薬」というフランス語詩を
「初期詩篇」でもなく
「飾画篇」でもなく
「追加篇」でもなく
「附録」として、巻末に収録したのは
このとき、ランボーの作品であるかどうかが不明だったからです。

この異例ともいうべき収録については
「後記」に記されてありますが
中原中也没後、現在に至るまでには、
ランボー研究は進化し
「失われた毒薬」がランボー作品ではないことがほぼ確定しています。

「いたずら好きな女」が「追加篇」の末尾にあり、
現在ではジェルマン・ヌーボーの作品であることが判明している「失われた毒薬」が
付録として「いたずら好きの女」の次に置かれ
「後記」に続く形となっているのはこうした事情からです。

ところで
第2次ベリション版「ランボー著作集」を原典としている中原中也訳は、
すべての詩の完訳ではなく、
計12篇が収録されていません。

中原中也訳「ランボオ詩集」に収録されていない12篇は、
以下の通りです。

① 翻訳されていながら収録されなかった4篇
「ソネット」
「眩惑」
「ブリュッセル」
「黄金期」

② 翻訳されていない8篇
「税官吏」Les Douaniers
「パリの軍歌」Chant de guerre parisien
「パリは再び大賑わい」Paris se repeuple
「記憶」Mémoire
「運動」Mouvement
「鍛冶屋」Le Forgeron
「ぼくのかわいい恋人たち」Mes petites amoureuses
「正義の人」L’Homme juste
(※タイトル訳出は宇佐美斉による。「新編中原中也全集」第3巻 翻訳・解題篇より。)

この中の「正義の人」が
第2次ベリション版「ランボー著作集」の巻末詩です。

ひとくちメモ その2

「いたずら好きな女」Le Malineは
西条八十や粟津則雄は、
中原中也と同じ「いたずら好きな女」ですが
金子光晴だと、「こまっちゃくれた娘」、
堀口大学だと、「おませな娘」、
鈴木創士だと、「いたずら娘」、
鈴村和成だと、「おませな女の子」、
宇佐美斉だと、「隅におけない娘」……と
さまざまな日本語に訳されていて、
タイトルを見ただけで
訳者それぞれのランボー観が出ていることを
あらためて知ることになる作品です。

同じようなことは
最終行のカッコ付きの発言(セリフ)の訳し方にも表れます。

西条八十は、「ここを触って見て。‘ちょっぴり’頬ぺたが冷たいの……」、
粟津則雄は、「ねえ私、ほっぺたに風邪をひいたの……」、
金子光晴は、「ほら、さわって。頬っぺたがこんなに冷たいのよ」、
堀口大学は、「さわってみてよ、あたし頬っぺに風邪ひいちゃったらしいのよ……。」、
鈴木創士は、「ねえ、臭いをかいでよ、あたし、ほっぺが冷たくなっちゃった…」、
鈴村和成は、「ねえ、感じる。ほっぺにお風邪‘さん’ひいちゃってよ……」、
宇佐美斉は、「ねえ触ってみて 頬っぺがこんなに冷たいのよ……」
――といったように。
(※傍点は‘ ’で示しました。編者。)

この詩に現われる女性を
どのようにとらえるかで
セリフの訳し方にこんなに違いが出ますし
それは詩の読み方全体の違いにもなるというわけです。

当たり前のことですが。

ランボーが
その放浪の早い時期に
シャルルロアという小さな町のカフェかキャバレーかで
出くわしたベルギー女性をどのように感じ
どのように表現したのか――。

中原中也は
詩を作っているランボーの心持ちに沿おうとし

「下手な襟掛」
「桃の肌えのその頬を」
「子供のようなその口はとンがらせている」
「私に媚びる」
「接唇(くちずけ)してくれと云わんばかりに」
「ねえ、あたし頬(ほっぺた)に風邪引いちゃってよ……」

などと、律儀なほど控えめに

出来る限り逐字訳をしながら、その逐字訳が日本語になっているように気を付けた。
語呂ということも大いに尊重したが、語呂のために語義を無視するようなことはしなかった。

――と、「後記」に記したような翻訳態度を堅持しました。

中原中也訳が
現在も精彩を失わないでいるのは
翻訳というものへの、
この原則的姿勢によるものです。

言葉が立っているのは
この翻訳姿勢にありながら
自身の創作詩を生むための
命がけの格闘(言葉との)を日常としているからです。


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