港市の秋

石崖(いしがけ)に、朝陽が射して
秋空は美しいかぎり。
むこうに見える港は、
蝸牛(かたつむり)の角(つの)でもあるのか

町では人々煙管(キセル)の掃除(そうじ)。
甍(いらか)は伸びをし
空は割れる。
役人の休み日――どてら姿だ。

『今度生(うま)れたら……』
海員(かいいん)が唄(うた)う。
『ぎーこたん、ばったりしょ……』
狸婆々(たぬきばば)がうたう。

港(みなと)の市(まち)の秋の日は、
大人しい発狂。
私はその日人生に、
椅子(いす)を失くした。

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ひとくちメモ

「帰郷」あたりで東京を離れた詩世界が、
「港市の秋」で、ふたたび、
都会の匂いを放ちはじめます。
といっても、そこは横浜らしい。
「秋の一日」と同じ舞台の横浜らしい。

詩人は埠頭の見える丘にいます。

その手前の石崖に朝の陽光が射し
息を飲む美しさです。
その向こうの港に
カタツムリの角のようなものは
繋留中の船のマストだろうか……。

いま歩いてきたばかりの町では
煙管(キセル)の手入れをするおじさん
住家の屋根はリラックスしてあくびをし
空はぽっかり割れて真っ青な青空
休日の役人はどてら姿もしどけなく
くつろいでいました。
水兵がなにやら
今度生まれてきたら
なんて歌うのが聞こえました。
ばあさんが
ぎーこたん ばったりしようよ
(ギッタンバッコンしようよ)
なんて歌うのも聞こえました。

穏やか過ぎて眠りたくなるような、
おとなし過ぎて私には入り込めない、
気がおかしくなるような港町の風景でした。

私はこの日
私の居場所がないのに気づき
どこか入り込める場所を探そうと
心に決めるのでした……。

これも詩人宣言の一つです。


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