少年時

黝(あおぐろ)い石に夏の日が照りつけ、
庭の地面が、朱色に睡(ねむ)っていた。

地平の果(はて)に蒸気が立って、
世の亡ぶ、兆(きざし)のようだった。

麦田(むぎた)には風が低く打ち、
おぼろで、灰色だった。
 
翔(と)びゆく雲の落とす影のように、
田の面(も)を過ぎる、昔の巨人の姿――

夏の日の午過(ひるす)ぎ時刻
誰彼(だれかれ)の午睡(ひるね)するとき、
私は野原を走って行った……

私は希望を唇に噛みつぶして
私はギロギロする目で諦(あきら)めていた……
噫(ああ)、生きていた、私は生きていた!

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ひとくちメモ

「少年時」という章の
冒頭に「少年時」という題の詩が置かれたからには
何か重要な意味を与えられていそうな作品ですが
案の定、この詩は一時、
詩集のタイトルの候補の一つとされていたほどの
戦略的な意味をもつ作品でした。

詩集「山羊の歌」は
「少年時」のタイトルになる可能性もあったのですが
これも戦略上、詩人はそうしなかったのです。

しかし
詩人が生涯にわたって敬愛し
翻訳にも取り組むことになる
フランスの詩人・アルチュール・ランボーが
散文詩「少年時Enfance」の一節で

まことに、俺は、沖合を遥かに延びた突堤の上に棄てられた少年。行く手は空にうちつづく、道を辿って行く小僧。

辿る小道は起伏して、丘陵を、えにしだは覆い、大気は動かず。ああ、はや遠い、小鳥の歌、泉の声。行き著くところは世の果てか。
(「飾画」「少年時」より、小林秀雄訳)

──と歌った「世の果て」は

黝(あおぐろ)い石に夏の日が照りつけ、
庭の地面が、朱色にっていた。
地平のに蒸気が立って、
世の亡ぶ、兆(きざし)のようだった。

──にまっすぐに通じていて
中原中也の「少年時」が
ランボーの「少年時」と
いかに近い距離にあるか
くどくど言う余地はありません。

この詩には、
「恋愛」はないでしょうし
「女」の影もないでしょうが
しかし
少年時代を暗喩にして
長谷川泰子との失恋が隠されている
という詩と解釈できないことでもありません。

ここではそんな深読みはしませんが
でも
少年時代を回想しただけの
ただの思い出の詩ではないことは確かで
遠い少年時代のことを歌う中に
実は
つい最近の出来事
つい最近の喪失感
つい最近のむなしさを込めた
ということは十分に考えられることではあります。

青黒い石は河原の石でしょうか
田舎の川に照りつけるカンカンの太陽
土肌は朱色をして眠るような静けさ

地平の果てに立つ蒸気は
入道雲のことか
それが不吉なものに見えたのです。

麦の田を風が撫で倒し
それは、灰色で
爽やかなものではありませんでした。

その上に現れ飛んでいく雲の影は
田んぼを通り過ぎてゆく
伝説の巨人だいだらぼっちのよう

夏の午後
みんな昼寝の時間だというのに
ぼくは一人っきりで野原を走り回っていた

希望を唇で噛み締めて
ギロギロする目で探しながらも
どこかでは諦めていた
ああ、ぼく生きていた
生きていたのだ

一つの詩に
それを初めて作ったときには
歌おうとはしなかった感情が
発表する段階になって
あらたに加えられるということは
しばしば見られることです。

「少年時」は
1927年〜1928年(昭和2年〜3年)に
初稿が作られたことが推定されていますが
「ギロギロする目」には
少年時代の不安感が歌われているのと同時に
青春の空腹感や
失恋の空虚感も込められていて
それら失なわれた時間を嘆息する
「血眼の」現在の詩人がいても
いっこうに不自然でありません。

その「ギロギロする目」が
「諦(あきら)める」といっているのです。

ここに
求めつつも諦めるしかない泰子への
断ち切りがたい思いを断とうとした
詩人の現在を見ることも
それほどおかしいことではありません。


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