お道化うた

月の光のそのことを、
盲目少女(めくらむすめ)に教えたは、
ベートーヴェンか、シューバート?
俺の記憶の錯覚が、
今夜とちれているけれど、
ベトちゃんだとは思うけど、
シュバちゃんではなかったろうか?

霧の降ったる秋の夜に、
庭・石段に腰掛けて、
月の光を浴びながら、
二人、黙っていたけれど、
やがてピアノの部屋に入り、
泣かんばかりに弾き出した、
あれは、シュバちゃんではなかったろうか?

かすむ街の灯とおに見て、
ウインの市の郊外に、
星も降るよなその夜さ一と夜、
虫、草叢(くさむら)にすだく頃、
教師の息子の十三番目、
頸(くび)の短いあの男、
盲目少女(めくらむすめ)の手をとるように、
ピアノの上に勢い込んだ、
汗の出そうなその額、
安物くさいその眼鏡、
丸い背中もいじらしく
吐き出すように弾いたのは、
あれは、シュバちゃんではなかったろうか?

シュバちゃんかベトちゃんか、
そんなこと、いざ知らね、
今宵星降る東京の夜(よる)、
ビールのコップを傾けて、
月の光を見てあれば、
ベトちゃんもシュバちゃんも、はやとおに死に、
はやとおに死んだことさえ、
誰知ろうことわりもない……

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ひとくちメモ

「お道化うた」は
たびたび作品の中に現れるピエロと異なり
ピエロ=お道化が歌う歌、と
タイトルをつけ
詩人が、その歌を歌っている
当のピエロになっています。

季節は秋。

第2連冒頭行
霧の降つたる秋の夜に、

第3連第4行
虫、草叢(くさむら)にすだく頃、

第4連第3行
今宵星降る東京の夜(よる)、

と、随所に秋の描写があります。

ベートーベンの「月光の曲」にまつわる
盲目の少女との物語を題材に
詩人は道化てみせるのですが
星が降り、
月の光さす、
東京の夜、
といえば
秋しかないような
やや出来すぎの設定です。

「歴程」第2次創刊号(昭和11年3月)に初出。
昭和9年(1934)6月、中也27歳の制作。
前年1933年に結婚した中也は
同人雑誌、総合雑誌などに
精力的に作品を発表、
第一詩集「山羊の歌」を年末に刊行しています。

中原中也年譜の1934年の項目に、

11月、この頃、「歴程」主催の朗読会で「サーカス」を朗読。
12月、高村光太郎の装幀で文圃堂より『山羊の歌』を刊行。
などと、あります。

大岡昇平も
中也が自作を朗読する場面を記していますが
ここでは「歴程」の会合での
「サーカス」の朗読です。

中也が、
迎角45度前方の
虚空を見据え
だみ声で
ゆあーん ゆよーん、と
朗読していた姿が
彷彿としてきますが……。

「お道化うた」だったか
今や、記憶の中にはっきりとはしないのだけれど
「あれだったとしても決しておかしくはない」と
中也の朗読を聴いた思い出を 
記すのは、評論家・吉田秀和です。
(朝日新聞2008年3月20日「音楽展望」)

「七五調のあのうた、中原は気持ちよさそうに、独特のダミ声でサービスしてくれた。」と
吉田秀和は書きます。
そして、
「お道化うた」の第1連を引いて、
珠玉のようなこのエッセイを
結んでいます。

朗読されたのが、
「お道化うた」であったというのが
驚きの一つですが、
その朗読がダミ声だった、
というのも驚きでしたし、
新鮮でした。


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